ともや

塾長をしてます

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最近の記事

あの日追えなかった背中

これは「エフォートレス思考」という 一冊の本を巡る私だけの話である。 この本との出会いは去年の9月。 エリアマネージャーになったその月に 初めて臨んだ本部会議でのことだった。 会議の前泊で、初対面の先輩と相部屋をした。 前例のない形で昇進したことに有頂天になり、 自分の仕事の目的は何か、 それを達成するための手段は何か、 何一つ答えを持っていなかった私は この先輩との出会いで大きく変えられた。 社会人になってから出会った先輩で 初めて「この先輩の足元にも及んでない」と

    • 2023/10/27

      朝から、仕事がめちゃくちゃ積もっていた。 2時間半に及ぶ会議を終えた私は 「生徒が来るまでに終わらない」と悟った。 生徒が教室にくるまで2時間。 今日は思い切って30分休憩することにした。 いつもは休憩なしで働ききるのだが、 あえて今日は休憩をした。 シャキシャキレタスのサンドイッチがおいしかった。 今日は頭の中に仕事を覚えておくことをやめ、 2時間でやることリストを作ってみた。 仕事に大小はあるものの、 13個の業務が洗い出されてきた。 そして、何かしらのビジネス本で目に

      • 2023年10月26日

        「さみしい夜にはペンを持て」 という1冊の本を読んだ。 いじめられっ子のタコジローは学校を休んだ。 学校行きのバスから怖くて降りられなかった。 そしてそのバスは終点の公園に着いた。 タコジローは公園でヤドカリおじさんと出会う。 おじさんとの対話の中で、 自分を言葉にすることの晴れやかさを知る。 そして自分自身の本音を客観視し、 向き合うべき現実や大切にすべき友達の存在に 少しずつ気がついていくという物語である。 タコジローは毎日日記を書いた。 誰かからの評価は度外視で、 未

        • 衰えたメッシにボールが集まる理由

          中間管理職になり、1ヶ月が過ぎた。 この1ヶ月は試行錯誤の日々だった。 「自分なり」という抽象的な道標に、 行く先を委ねてはいけないことも感じていた。 今日まで2泊3日にわたる出張があり、 初対面の先輩と共に相部屋で過ごした。 先輩は3時間に及ぶ対話を通じて、 自力では形容しきれなかった抽象概念を、 さらりと言語化してくださった。 以下、対話の記録です。 私 「1ヶ月この仕事をしてきました。 しかし私にはこの仕事でどこに向かうことが 前向きに取り組むことなのか分かりません。

          守られた平穏、引き裂かれた天才

          プロレスを好きになって20年、 私の人生はプロレスなしには語れない。 プロレスとの出会いは幼稚園の頃だった。 テレビの録画機能を「僕も使いたい!」と 親に告げたことが全ての始まりだった。 新聞のテレビ欄に番組の番号が書いてあり、 それを録画機器に入力することが必要だった。 テレビ欄をくまなく見て、 興味を持ったのは「ドM時間」と「プロレス」 家族はプロレスを必死に勧めてくれた。 私の純白な心と、お茶の間の平穏は守られた。 録画した番組を再生すると、 永田裕志と鈴木みのる、

          守られた平穏、引き裂かれた天才

          好きなこと

          自分が本当に好きなこと、 実現したいことは何ですか? そう聞かれると、私は即答ができない。 好きなこととの出会いは幾度もあった。 しかしこの問いへの答えは簡単には出てこない。 原因は何か。 この手の議論ではしばしば、 SNSによる他社評価に依存した生活習慣、 学校教育による正解か不正解かでの 二元論の刷り込みが挙げられる。 私自身もこの2点は身に覚えがある。 だからこそ今回のこの文章はただひたすらに 私が好きなことを好き放題に書き散らす。 今後は、自分が好きなものは なぜ

          好きなこと

          小学校の教科書に載ることは名誉?

          私には大学生のころから ずっと気がかりだったことがある。 自分の論文が小学校の教科書に載ることは、 学者にとって喜ばしい出来事のだろうか? 「君の研究は小学生レベルだねww」と突きつけられているような気がしていたからである。 大学に通った経験がある人ならば、 卒業論文を書く機会があるだろう。 私も自分の好きなテーマの論文を書いた。 「分かる人にだけ面白さが届けばいい」と、 ありとあらゆる言葉遊びを弄しながら作った、 22年間の好奇心の集大成の論文である。 その論文が学問を追

          小学校の教科書に載ることは名誉?

          よー、そこの若いの

          今の自分は幸せなのか、 ふと自分に問いかけてみる。 半人前の自覚を持ちながら、 エリアの統括責任者になることを選んだ。 あの日から職場の内部の関係性、業務量、 時間外の過ごし方は一変した。 今の私は、朝礼や会議の内容決めと日程調整、 仕事の割り振りのコミュニケーションなどが 誰かの見よう見まねにとどまっている。 そこに私の思いはなく、自分を客観視しても この人についていけるかは甚だ疑問である。 今の日々は筋トレでいうところの、 負荷を1日中かけ続けている毎日である。 超回復の

          よー、そこの若いの

          悲しむべき厚い壁

          中学3年生で習う、魯迅の「故郷」という作品。 これは2学期に扱われる作品であり、 私の塾の生徒たちも熱心に読解に励んでいる。 この作品を今読むと、胸に来るものがある。 主題は「旧友を隔てた社会の構図」である。 主人公であるシュンは20年ぶりの帰郷を果たし、幼馴染のルントウと再会する。 シュンは地主の家に生まれ、 ルントウは小作人の家に生まれた。 子供のころは、ルントウのことを 「小英雄」と慕っていたシュン。 20年ぶりの再会に感極まるシュンだったが、 ルントウから開口一番に

          悲しむべき厚い壁

          好奇心の行方

          生徒が教えてくれることはごまんとある。 私の塾で、英語の授業をしている 小学6年生の男の子がいる。 勉強が得意とは言えない彼は、 学校の授業では頭を抱えて突っ伏してしまう と相談を受けたこともある。 先日、(中学校で入りたい部活とその理由)を 英語で練習した。まず日本語で言ってみようかという問いかけに、「サッカー部と科学部」と答えた。スポ少でサッカーをしている彼から、サッカー部が出てくるのは想像できていたが、科学部は意外だった。「頭がよくなりそうだから」という理由だった。勉

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          僕が僕であるために

          2023年7月中旬、 いつも通りのほほんと教室運営をしていた 私の元に、ある連絡が届いた。 たった一言「拠点長になる?」と。 それまでは自教室のみの運営に奔走していた私にとって、新しい挑戦への切符が届いたのである。ほかの教室長たちの管理をすることは、 これまで積み上げてきた人間関係であったり、 仕事の難易度に大きな変化を及ぼすことになる。この変化が起こることは、透けて見えていた。 私にはすぐに返事をすることができなかった。 最も大きな要因は 「最年少の自分に務まるか」とい

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          紗々とぶぶんぶんぶん

          教育を生業としての生活が始まり、3年目に突入した。 生徒や保護者に「気づきを促すこと、説明すること」が仕事である。 そんな私は、今月から拠点長という役割をいただいた。 今の私には、生徒の成績向上だけでなく、管轄教室の統率、 業績の向上が求められている。 そこで第一に考えたことは、自分の中にある抽象概念や、 周囲の人たちが見落としている身の回りの不思議を言語化することである。 誰かに伝わることが前提の言語化であるため、 見られることが前提のこのような形が最善かと考え、 改め

          紗々とぶぶんぶんぶん

          そろばんに弾かれた浪漫

          生きることは難しい。 はじめて、仕事を休んだ。 何かが自分の中で「危ない」と白旗を挙げた。 高校生の頃、野球部で試合に出れなかった私は スタメンの選手たちが 惜しみなく活躍できる環境づくりに尽力した。 ホームランを打ったり、 剛速球を投げたりすることはできなくても 「誰かのために一生懸命に役割を果たす人」は 誰かにとってのヒーローになれると信じた。 その信念は私自身の今を作っている。 そして高校卒業後も「誰かのため」が 私の大きな原動力であり続けている。 大学生になってか

          そろばんに弾かれた浪漫

          哲学者との対話

          ショーペンハウアーの「読書について」 という作品を読んだ。 読書好きの界隈で「衝撃的だから読んでみろ」と 密かに話題に上がっていた1冊である。 読書という行為への賛美歌かなとか、 読書家への寵愛を示す内容かと思っていたが その期待は1ページ目でへし折られた。 読書をすることが目的になっていないか? 自分の頭で思考することを放棄してないか? ショーペンハウアーは私に投げかけた。 私がどれだけ自分の言葉に還元できるのか 自分の生活レベルに昇華できるのかが 読書の本質的な部分であ

          哲学者との対話

          迷惑をかけたい新人

          地元の教室で働かせていただけるようになり 3週間が過ぎようとしている。 新しい上司に「業務が早くて 手がかからなくて助かるよ」と褒められた。 業務自体は今までの教室と同じなので 特に滞りなく進められているが その褒め言葉がかえって私を悩ませる。 「手がかかるのはよくないこと」 「このエリアでは自走することが正義」 このように思われてしまっている。 どれだけ膨大な業務でも それをやり遂げた達成感を分かち合える 先輩がいるだけで心が救われることがある。 「天才を殺す凡人」

          迷惑をかけたい新人

          人間失格、ハリネズミ合格

          今めかしい美男子がほくそ笑むブックカバーの 「人間失格」が新刊のコーナに並んでいた。 私がこの本から感じ取りたかったのは 太宰治の冷たくて無機質な人間味であった。 だから、新刊ではなく中古の真っ黒な 「人間失格」を手に取った。 太宰治の「遺書」と呼ばれる作品である。 彼の興隆や哀愁を知らずに 知名度だけを手綱にしてやってきた 通りすがりの私が「遺書」を読み おこがましくも感想まで持つことは 「訳知り顔の野次馬」のようにさえ思われた。 しかし読み進めると罪悪感に似た気持ち

          人間失格、ハリネズミ合格