僕が僕であるために

2023年7月中旬、
いつも通りのほほんと教室運営をしていた
私の元に、ある連絡が届いた。
たった一言「拠点長になる?」と。

それまでは自教室のみの運営に奔走していた私にとって、新しい挑戦への切符が届いたのである。ほかの教室長たちの管理をすることは、
これまで積み上げてきた人間関係であったり、
仕事の難易度に大きな変化を及ぼすことになる。この変化が起こることは、透けて見えていた。

私にはすぐに返事をすることができなかった。
最も大きな要因は
「最年少の自分に務まるか」という不安だった。
燃える自分と安寧を願う自分で板挟みになった。
7月末には答えを聞かせてほしいという上司。

悩みにもだえる私を突き動かしたものは、
幼稚園児の頃から大好きなプロレスと
お笑いのレジェンドたちだった。

TBS系列の「推しといつまでも」という番組で、長州力の大ファンであるご家庭が紹介されていた。そのご家庭のお父様は、とても内気で温厚篤実な人柄を画面越しに感じさせた。そんな彼は、夢だった飲食店の開業に踏み切れなかった。
しかし長州力の言葉に突き動かされ、一念発起の挑戦をしたことで夢を叶えて今に至るという。

1987年、アントニオ猪木が新日本プロレスの
絶対的な象徴であった。タイトルマッチで勝利し、勝ち名乗りを受けるアントニオ猪木のもとに、長州力は現れた。プロレスの定石では、
ここで次のタイトルマッチに向けた
挑戦表明をするのだが、彼はこう言った。

「今こそ新旧交代だろうが。藤波、俺は自分たちの世界を変えるために3年間叫んできたぞ。
藤波、前田、おまえら噛みつかないのか?
今しかないぞ、俺たちがやるのは。」

これはアントニオ猪木が保持するIWGPベルトへの挑戦表明ではなく、アントニオ猪木が中心で展開されていく、新日本プロレスという業界への挑戦状であった。

今しかないぞ
シンプルな言葉は、私の五臓六腑に染み渡った。
この仕事を続けていく上で、挑戦に踏み切る
タイミングが、このお話自体をいただける社員が
多くはないことを腹の奥では理解していた。
たまたま見ていたテレビ番組から
エールをもらったような気がした。
私の気持ちは前向きになり始めた。

「自分にできるのか」
その不安が払拭されたわけではなかった。
そんな時、木梨憲武のRED Chairを見た。
このインタビューの中で大好きな問答がある。

記者:ライバルとは
木梨憲武:自分なんて

60歳から「もっと遊ぶ」 木梨憲武という生き方

ライバルと聞かれて自分と答える著名人は多い。
「自分なんて」と3文字を添える上品なセンスは彼を木梨憲武たらしめた理由のように思われた。この言葉が湧き出てくるのは、
センスの塊のように見える彼も、
人知れず弱気な自分と戦った瞬間があることを
裏付けているように思われた。
私は奮い立たずにはいられなかった。

今しかない。
「自分なんて」という自分に負けない。
奇しくも、これまでの自分の人生を翻弄してきた、時に遠回りをさせる存在にもなったプロレスとお笑いが、今、挑戦者としての道を進むことを後押ししてくれた。

その後上司にはすぐに挑戦表明をし、
今の役職をいただいた。
予期していたとおり、生活は180度変わった。
それまでは22時に仕事が終わると3時まで遊び回り、翌日の11時に起きて13時からの仕事に向かっていた。今では22時の仕事が終わると0時には就寝し、6時に起きてジムに行き、仕事までの時間を勉強に回すという生活を送っている。
今の時点では、この生活が楽しくてたまらない。

プロレスの試合はカウント3をレフェリーが数えるまで、自身がギブアップするまで終わらない。相手の技をすべて受け止め、その上で立ち上がり続ける選手たちのように、お客様や社員からの想いを受け止め、その上で社会人として結果を出せるエリアを築いていきます。


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