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人々の認識を変えるには地道に語り広げるしかないのです。
私がこれまでずっと地元で取り組んできた子育て団体の活動は、その社会的な意義も大きいと感じている。
どのような意義があるのですか?と聞きたくなる読者もおられるだろうが、今回はその話はしません。すみません。それを書き出すと、文章が長すぎるくらい長くなってしまうと思うので、今日は割愛します。
しかし、そのポイントをあえて一言でざっくりと言い表すならば、「文化芸術や集団活動を通して、人間らしく生きていける人を育てる」というところにあると私は思っている。
そういう活動に参加する人々を増やしていくには、その意義を、子育てをしている大人世代の人々に語り広げなければならない。
先日の記事でも少し話題にした「未来人材会議」であるとか、今後のVUCA(※)時代を見据えて子どもたちに何を教えるべきかなど、そういうことに敏感な子育て層も確かにいるだろう。
※VUCA:Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取った言葉。「先行きが不透明で、将来の予測が困難な状態」というような意味。
しかしながら、日々の仕事に忙しく追われている多くの親御さんはそういう情報に本当に触れられているのだろうか。
私の勝手な想像では、変に競争教育に毒されていない親御さんであるならば、未来人材がどうたらとか、グローバル人材がどうたらとか、そういうのはたぶんあんまりどうでもよくて、「自分の子が平和を大事にして、人に優しくできる大人に育ってくれればそれでいい」ということに似たようなことを思っている人が多いのではないか、と思うのだがどうだろう。
そういう教育要求を否定する気は無いし、私もそれが素晴らしいと思っているし、我々の活動はそういうシンプルな子育て要求に応えられるようなものであるとも思っている。
しかし一方で、今後の未来を見据えて、上記で指摘されているような社会において求められる人間像に照らして、この活動の意義を語れても良いと思うのだ。
なぜなら、今この社会を生きていくために必要な素養こそが、「人間らしさ」なのではないかと思うからだ。
科学技術の発展と世界的な人口増加に伴い、ますます不確かさが増しているこの現代社会において、本質的に人間という生物が持っている特性や欲求を適切に捉えたり、自分自身もそういう人間であることを自覚して幸せに人生を歩んでいく上で、「人間らしく生きる」ことがそれを助けてくれるのではないかと思うからだ。
我々の活動は、未来人材の持つべき素養のうち、一体どのような部分を育てている活動なのか?文化芸術・集団活動の一体どの部分がそれを育てているのか?
そういうことをうまく私なりに言語化し、意味づけてみたいと思っている。
しかしながら、こういう話は人々の認識の先を行き過ぎている気もするし、私も細かい言語化が得意ではないから、すぐに理解は得られないだろうと思う。
それは、科学技術に関してはいわゆる「リープフロッグ」によって急速な変革が可能だが、人々の認識が急速に変化する可能性は小さいからである。
気づいた人間が中心になって周りに語り広げ、地道に段階的に認識づくりをしていかないと変わらないだろう。
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