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ワンマン列車の運行は自己有用感の塊なのです。
昨日のコンサートの帰りに、初めてワンマン列車に乗った。
ワンマン列車とはその名の通り、車掌が一人で運行を行う列車のことである。郊外育ちの私にとっては、こういう田舎の乗り物(地元の人たち、すみません)は少し珍しくて面白い。
だから、私は列車の一番先頭が視界に入る場所に座って、車掌の様子を観察していた。
まず初めに気が付いたのは、乗客に多様な降り方があることだ。
この区間は田舎過ぎて交通系ICカードが使えなかったから、私は始発となる乗車駅で切符を買ってから乗車した。同じく始発から乗った人たちは、降りる際には切符を車両付きの車掌に渡してから降りて行った。
それ以外の人々はどうしているのかと観察すると、この区間に途中で乗ってきた人は、整理券を取って、降りる駅にて清算する、という方法を取るらしかった。これは、乗車区間によって運賃を決めて、降車するときに払うバスのやり方と同じだ。
他にも、何かカードのようなものを車掌に見せて降りている人たちもいた。これは恐らく、通勤通学用定期券などを持っている人たちだろう。
交通系ICカードによる駅改札での出入場に慣れていると、こうした運賃の支払い形式に対して全く疑問を持てなかったかもしれないが、バスと同程度の乗客の数であるならば、こういう鉄道の運転形態も確かにあってしかるべきだ、と思った。
次に気が付いたのは、車掌の業務も比較的多様であることだ。
駅を出発したら、まずは運転士として列車を動かし、次の駅まで乗客を運ぶ。次に、運転席を降りて、ホーム側のドアを開ける操作を行う。その後、各乗客の清算方法の違いに合わせて清算対応を行う。さらに、不慣れな乗客に対してはその場でコミュニケーションを取ったり、電話で本部と通信して対応したりする。
この一連の様子を見ていると、首都圏近郊の列車を運転する車掌とはまた違った大変さがここには存在しそうだ、と思った。
まず、この1つの列車を1人で任されることに対して、孤独感がありそうだな、と思った。それは、この列車の始発駅から終点まで移動するのに、約3時間かかったからだ。途中の停車駅には駅員がいる場合ももちろんあるが、基本的には無人駅が多いし、田舎で駅間が長いから、もしトラブルがあった際には、全て自分一人で対応しなければならない。
また、各駅に停車するたびに運転席を降りてドアを開け閉めして、お客さんの対応をして、という作業は、結構手間がかかりそうだな、と思った。
ただ、この「自分こそがこの列車を運行して、お客さんを目的地に送り届けているのだ」という、自己有用感を得るにはすごくいい環境かもしれない、とも思った。
私自身に置き換えれば、そういうふうに仕事をする方が好きだ。全体の大きな仕事の一部分だけを任されるよりも、目の前のお客さんに直接自分の仕事が届くように、自分なりに考えて、やりたいようにやりたい人間だからだ。
しかし、こうした田舎の路線は、コストカットと人手不足に悩まされている現実もあるだろう。
田舎の寂れたワンマン列車の車掌と自分を遠くで重ね合わせて、その境遇に思いを馳せたのだった。
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