「雨ニモマケズ」は究極的な理想像なのです。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を改めて読んでみて、その全てを実践するのはとんでもなく難しい人間像が描かれているな、と思う。
こういう人間像について、どこか憧れている自分がいる。
健康で、欲は少なく、しかし賢い。その上で、周りの人たちの幸福を願い、助け、その報いが自分に返ってくるかどうかについてはこだわらない。
「慾ハナク」とあるのに「欲は少なく」とあえて書き直したのは、最後に「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と書かれているからだ。
このような理想的な人間になりたい、という理性的な欲望は持ちつつも、食欲や物欲、承認欲求のような本能的な欲望にはこだわりを捨てる、というスタンスなのではないか、と私は理解した。
私が完全に禁欲的な人間であるとは思わないが、どうやら人よりは欲望の量が少なそうな気がしている。
しかし、欲望が少ないと思っていた自分にとっても、確かに「こういう人になりたい」という小さな理性的な欲望がありそうなことは自覚している。
そして、これまで体調を崩すことは少なく、食べる量も少なく、比較的穏やかな性格をしている。
これまでの自分の無意識的な生き方の一部が、すでにここに立ち現れているのような気がするのだ。
問題は後半だ。
各地における困りごとに対して手を差し伸べて他者貢献するが、それは決して褒められも貶されもしない。
そういう状況の中で、自分自身がそういう態度を取り続けることができるだろうか?
そういう意味で、これは実践がとんでもなく難しそうだ、と思ったのだ。
しかし、この「雨ニモマケズ」で描かれている人間像が、人生をかけて取り組めば少しでも接近できるのではないか、と思わせてくれる私の理想的人間像でもあるのだ。
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