キャラじゃなくてもヒーローでありたいのです。
以前、とある異業種交流会に参加して、専門外の人に自分の研究テーマについての説明を試みているとき、こんな会話になった。
ともや「安全・リスク学は、世の中に存在する科学技術や工学システムには、人間生活を豊かにするというポジティブな側面と、そのコントロールを失ったときの社会的影響が大きいというネガティブな側面があって、それらをどのようにうまく扱いながら社会の中で運用していけばいいのかを考える分野なんですよー」
参加者A「へぇ~、そうなんですね。なんだかヒーローみたいな分野ですね」
「ヒーローみたい」と言われたのは初めてだったので、そうかなぁ、と思って改めて考えてみた。
ヒーローってカッコいいよなぁと思う。何がしかのトラブルが起きている状況の中で、必ず遅れてやってきて、そのトラブルを見事に解決し、そして去っていく。
なぜヒーローのことをカッコいいと思うのかはよくわからないけど、それぞれ各人のあり方が異なるだけで、誰もがきっと、誰かにとってのヒーローでありたいのかもしれない、とも思う。
私は間違いなく、周りからキャーキャー言われるタイプのヒーローキャラではない。目立たないところで方々に気を回し、何事も起きずに無事に生活が行われていることを静かに喜ぶタイプの人間だ。
そういう人間にとっては、こういう分野でヒーローとして振る舞うことは、もしかしたら向いているのかもしれない。
安全という分野は、先端的な科学技術を推進して、新しくて楽しいことをどんどんやりたい人たちからすると、目の上のたんこぶにされがちな分野だ。楽しいことをするのに、リスクがどうたら言われたくは無いだろう。
確かに、個人レベルで行われることだったり、ベンチャー企業の取り組みの初期段階のレベルで行われることであれば、多少は激しいことをやっても大丈夫かもしれない。もし失敗したとしても、その影響は一個人や一ベンチャー企業の責任範囲のみに収まりそうだからだ。
しかし、決してそうは言えないくらいのスケール感で社会的影響を及ぼすような科学技術になってくると、そうは言っていられない問題も確かに出てくる。
そのように考えると安全という分野は、多少嫌われ役になったとしても、確かに誰かが必ずやらなければならないことなのだ。
もしそれをやる人がいないとしたら?
だったら私がやろうではないか、と言えるヒーローでありたいと思う。