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走ることとは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。(村上春樹)

自宅近くの国道の歩道は、住宅が並ぶさもないいつものジョギングコース。
ゆっくりと走り始めると「ここがハワイだったらいいのにな」と思った。
今朝は、強めの日差しと乾いた微風が心地よかった。
30年以上前に一度数日滞在したことがあるだけなのに、なんとなく「いつかハワイでのんびりと過ごしてみたい」なんて。
そんなことを考えるだけで実行できずにいる人がたくさんいるのだろう。
ジョギングから帰宅して、ハワイ行きたいなということを家人に言ったら「ハワイには四季があるの?」と聞かれ、ふと、「そうだ、ハワイ=ジョギングは、以前読んだ村上春樹のエッセイに影響されているかも」と思い書棚に行ってみた。

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「走ることについて語るときに僕の語ること」

引っ越しの時も捨てなかった単行本は、奥付で確認したら2007年発行の初版。捲ると、最初のエッセイの冒頭がハワイでのランニングについてのくだりだった。

その第1章のエッセイを夢中で読んだ。
たしかに読んだ記憶はあるのだけど、こんなに染み入るように読んだ記憶はない。
「走ることとは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。…」
なんてしっくりくる言い回しなのだろうか。
村上春樹って今何歳かな?
調べてみたら、このエッセイ書いたのは今の僕と同年あたりだということがわかった。
不思議な気分だ。

29歳で某地方新聞社を退社してから、ずっと自営業というのか自由業というのか、自分で律せずには食っていけない生き方を続けている僕にとって、「走ること」はかなり重要なことになっている。

少し長くなるけど、第1章のエッセイから抜粋して載せておきたい。

   ハワイに来てからも、毎日欠かさず走り続けている。やむを得ない場合を別にして、一日も休まずに走るという生活を再開してから、そろそろ二カ月半になる。今朝はラヴィン・スプーンフルの『デイドリーム』と『ハムズ・オブ・ザ・ラヴィン・スプーン フル』という二枚のアルバムをひとつに録音したMDをウォークマンに入れて、それを聴きながら1時間10分走った。
   我慢強く距離を積み上げていく時期なので、今のところタイムはさほど問題にはならない。ただ黙々と時間をかけて距離を走る。速く走りたいと感じればそれなりにスピードも出すが、たとえペースを上げてもその時間を短くし、身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越すように心がける。長編小説を書いているときと同じ要領だ。もっと書き続けられそうなところで、思い切って筆を置く。そうすれば翌日の作業のとりかかりが楽になる。アーネスト・ヘミングウェイもたしか似たようなことを書いていた。継続することーーリズムを断ち切らないこと。長期的な作業にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、あとはなんとでもなる。しかし弾(はず)み車が一定の速度で確実に回り始めるまでは、継続についてどんなに気をつかっても気をつかいすぎることはない。

(「走ることについて語るときに僕の語ること/村上春樹〜第1章誰にミック・ジャガーを笑うことができるだろう?」より抜粋引用)

ラヴィン・スプーンフル

ラヴィン・スプーンフルのアルバムをAmazon musicでダウンロードした。
明日はこれで走ろうと思った。


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