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子どもに注意している言葉は、ぜんぶ自分に刺さっている

今回は、あたらしい連続投稿チャレンジ、子育てのテーマに関して、まずは、「子どもに教えられたこと」を書いていきたいと思います。

▽連続投稿チャレンジのの告知note

このジャンルでのnoteは、はじめてとなるので、簡単に自己紹介させてください。

・アラフォー(40↑)
・子ども3人(中学生と小学生)
・ベンチャー企業勤務
・ハイブリット出社形式
・複数も色々

灯火の簡単な自己紹介

普段は、メンタルヘルスやアートのことを書いています。

▽よかったら、自己紹介記事も見てもらえたらうれしいです

さて、前置きが長くなってしまいましたが、早速いってみましょう!



イライラと自己嫌悪

思い描いていた仕事風景 現実は遠く…

コロナの少し前から、個人事業主として独立したわたしは、「PC一つあればできる仕事」に憧れて、Webライターや広報として仕事をしていました。

子どもたちの幼稚園バスの送迎やイベントへの参加率は一気に改善し、子どもたちとの時間は、大幅に増えました。
しかし、仕事場はもっぱら自宅です。しかも、家族4人で引っ越して来た部屋は、5人に増えたことに加えて、上の2人も大きくなり、完全に手狭となっていました。

つまり、わたしが一日中居間でPCを広げてライティングしたり、ZoomでMTGしたりしている状況です。わたしは、とかくイライラしがちで、視界に子どもたちが入るたびに、小言を言ってしまっていたような気がしています。

・乾いた洗濯物をを片付けて
・部屋をキレイに
・ものを大切に
・兄妹でケンカしない

この辺りはまだいいのですが、集中しきれずに捗らない仕事、そもそも、自分の力不足で安定しない収入。日に日に子どもたちへのあたりは厳しくなります。

こんなに頑張っている自分をねぎらってほしい

今、覚えば、わたしの根っこにあったのは、この感情だったと思います。

必要以上に厳し言い方をしてしまった。自分が一番嫌いな、子どもたちの「可能性を奪い、気持ちを折っている」のは自分ではないのか。

わかっていても、キツく言ってしまう。反省し「今度は冷静に」と思っても、また、相手の態度で爆発させてしまう。
このループを繰り返していることそのものも、さらに心の傷に塩を塗り込むようでした。

警察からの電話

知らない番号からの呼び出しに出てみると

そんななか、警察から連絡がきました
長男が自宅の近くにあるコンビニで、コーヒーマシンから無銭飲食したとのこと。学校にも連絡が行っており、小学校生活最大の騒ぎとなりました。

お小遣いは渡してあるし、お金はあったはず。本当に飲みたいのなら一度家に帰ればいいし、いくらでも方法はあったのに…。しかも、2杯続けて飲んだとのことで、これはもう完全に子どもが出したSOSでした。

言いたいことが言えない。何か言えば怒られる。そう思わせてしまっていたこと、そして、ついに人様に迷惑をかけてしまったことに、これも大きく自分を責めました。
「わたしの子育ての方法が間違っていた」のだと、わかりやすく現実を突き付けられたのだと痛感しました。

それから、そのまま。

わたしたちが「コンビニ事件」と呼んでいる出来事の後も、たくさんのことがありました。
休日に起きたら既に布団におらず、パジャマ+サンダルで近くの公園に行っていたこと。事件の反動で始めたソロバン塾を抜け出したこと、宿題をやらずにSwitchをやったりと結局辞めるに至ったこと。夜にいなくなって、警察に電話したこと。親のお金や友人のお金を盗んだこと。

こうして書くと、バリバリのヤンキーなどを想像されるかもしれませんが、余計にタチが悪いのは、内気でビビりで語尾をモニョモニョしゃべる小柄な子だということです。

児童相談所の力を借りたり、パートナーもたくさん向き合って協力してくれたました。
結果的に、中学に上がり、部活に生徒会に、早起きも何のその、自分で自分のお弁当を作り、非常に精力的に動きながら、盗んだお金を返すために頑張っています。

教育の仕方はベストではなかったのかもしれない、それでも

わたしたちのやり方は決してベストではなかったのかもしれません。しかし、パートナーと一緒にやれることはやってきたと、今では思えます。

何より、今、お互いの収入がだいぶしっかりしてきて、将来のことをしっかり考えながらそれぞれ好きなことをやっている状態ですが、それでも子どもたちの目につくところは変わっていません。

それって、つまり、自分たちの精神状態だけに依存していないということで、開き直るつもりはありませんが、精神的に安定していない自分たちが「ぜんぶ悪かったわけじゃなかったのかもしれない」と少し気が楽になりました。

もちろん、親の言葉や精神状態は、子どもたちに大きな影響を与えると思います。だから、これからもしっかり子どもたちと向き合っていくつもりですし、きっとこれからも色々あるのでしょう。
ただ、わたしたちができるのは、そのときそのときでできることを、体当たりでやっていくことだけなのかもしれません。

今、改めて思う、あのときの言葉

あのときの言葉は、誰に向けられていた?

上の子に手を焼いていたとき、自分が口にしていた言葉は、結局誰に向けられたものだったのでしょうか。

それは、
・自分が親から言われてきた言葉
・自分が子どもの頃にできていなかったことへの指摘
・現在、自分が直面している課題
・取引先から指摘された、自分の不甲斐ない部分
・今まで苦しかったときに、自分が言われてきた言葉
でした。

そんなこと言われても、受け止めきれるワケないよね、ゴメン。

それでも、伝えたいこと、知っておいてほしいことはちゃんと伝え続けるよ。ただ、わたしたちも言い続けるけど、わかってもらえるまでに時間がかかることもあるんだとちゃんと覚えておきます。

自分たちも、子どもの頃、いや、おとなになってからも決してできていないこともいっぱいあるから。一緒にできるようになるように、そんなスタンスで家族で一緒にいけたらいいなと、そんなことを思い描いています。

#子どもに教えられたこと




今回のトップ画像は、わたしが思い描くカッコよくて素敵なお母さん像にピッタリだった、清水シマさんのものを使わせていただきました!


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灯火 @ココロ・カタチ・ヅクル「リ・キュレーター」
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