【viva不登校】コドモノミライについて考えた年始
新年、あけましておめでとうございます。
2022年、いよいよ明けましたね。この2年はコロナウィルスというテーマに向き合い、寄り添ってきた時間なので、その流れの速さは人それぞれなのだろうと思います。
私の子供たちもこのnoteを書き始めた頃は、長女は中2から高2、長男は小5から中2へと成長しました。振り返れば、あっという間の時間でした。
このnoteは長男が小5の頃から始まった「不登校(私は自主休校と呼んでいた)」経験を皮切りに書き始めました。日々変化する息子の様子と、それに呼応するかのように目まぐるしく揺さぶられる親としての自分のアイデンティティ。それは強烈な筋トレでした。
年始のYahoo!ニュースで俳優の河合我聞さんの息子さんの記事(「息子さんが高校へは行かないと言ったエピソード」)を目にしました。ここに書いてある内容にも、うんうんと頷く自分がいました。あの頃の親としてのアイデンティティが揺さぶられまくっている私ならば、このように素直にうんうんと頷けなかったように、今は感じます。
コドモノミライは誰のものなのか?
私の答えは、子どものものです。生物学的にはおそらく私が先に死んでいきます。その後の人生を歩んでいくのは彼ら自身だからです。ですから、最後の最後は、子どもが決めたことを全力で応援する、その気持ちで子どもたちに向き合っています。
ただ、大人として、親として、ミライを示す選択肢、あるいは問い、これは常に子どもたちに与え続けるように。そして何より大切なことは、子どもの話を聴く、ただ聴く、このことが大切なのだと、そういう信念にたどり着きました。
子どもを想う親の気持ちは誰もが同じです。大切なことは、子どもに対して、親としての確固たる信念を持つことなのだろうと思います。
子育ては、親磨き。まだまだ私の筋トレはしばらくつづきそうです。
viva不登校。