【viva不登校】「子どもは親の写し鏡」とはよく言ったものだ
私は決して「不登校」の専門家になろうとは思っていない。故に「不登校」のことだけを日々考えているわけでもない。
息子が「不登校(自主休校)」という選択をした小学校5〜6年生、その2年間を伴奏した経験から得た課題意識。
「大人である我々、一人一人が自分らしい人生を歩む」
このことが、「不登校(自主休校)」に限らず今、そして未来の世を明るく照らす鍵となると確信している。
今回目に留まったこの記事、なるほどなぁと改めて自分に問いかける契機をもらえたと思っている。
細かい内容はさておいて、私が目に留まった内容として、
・小中学生の中でいじめが一番多いのは小学校2年生。いじめが驚くほど低年齢化している。
・小さい頃から、子どもたちはストレス、生きづらさを抱えている。
・その子どもたちの特徴に「自己肯定感(自分への自信)の低さ」がある。
・子どもの「自己肯定感(自信)」を奪っているの「大人たちの不安」なのではなかろうか、という仮説を持っている。
本当にその通りだと思う。いつかは忘れたが読んだ本の中で、
全ての子どもは、「自信に満ち溢れて」生まれてくる。そして成長していく段階で様々なことを経験する中で、親からかけられる言葉によって、徐々に「自信を失っていく」のである。
という一説があったことを思い出した。これも背景には「大人たちの不安」が背景にあるものと思う。
親が子育てだけではなく、今、目の前にある物事に対して「不安」ではなく「自信」を持つことができれば、自分自身に、周囲に対してOKを出すことができる。親として子どもにOKを出せる自分を自覚できるようになれば、愛する子どもの行動や発言に対しても、堂々と「あなたは思うように生きなさい、私たちはそれを全て受け入れるよ」という思考に自分を置くことができるようになる。
こういう話をすると、それはあなただから、とか、少し甘くないですか?とか言われることも多い。そんな時は食い気味でこう投げかける。
・他人は変えられないけれど、自分は変えられる。なぜならば自分だから。今日の相手を変えることはできないけれど、今日の自分、今この瞬間の字に文の行動、言動は変えることができる
・相手を受け入れる(OKを出す)ことは覚悟が必要であり、甘くはない。そしてOKを出された相手(子ども)にも責任が生まれるので、子どもにとっても甘くはなく、あえて厳しい道を歩むことになる(強くなる)
では、こういった親としての「自信」の源泉は何かと言えば、冒頭の言葉に戻ることになるが、
「大人である我々、一人一人が自分らしい人生を歩む」
ことが大切なのではないだろうか。自分自身が自分らしい人生を歩んでいる感覚は自分に大きな「勇気」と「自信」を与えてくれる。そして「自分」という存在を日々感じることができる。そうすると、良い意味で自分の「子ども」に起きていることと、親としての「自分」を切り分けて考えることができるようになる。
今、世の中の多くの親たちは、
まだ起こるかもわからない未来に不安を自ら取りに行き、自分自身の過去の経験と照らし、その不安を払拭すべく、期待という名の呪文を子どもにかけている。
それが子どもの生きづらさの原因ではなかろうか。
無責任に聞こえるかもしれないが、「親は親の人生、子どもは子どもの人生を選択する権利があるのだ」。と100%の自戒を持って今、このnoteを書いているのである。
viva不登校。
※10月から「子供の未来」を考えるラジオ番組を始めました。