私のコーチングは、クライアントと協働する「答えの創造」
コーチングという言葉を調べると、大概以下のような説明がされている
「目標を達成するために必要となる能力や行動をコミュニケーションによって引き出すビジネスマン向けの能力開発法」
「話し合いを通じて相手の望むゴールに辿り着くのを支援するプロセス」
「相手の話に耳を傾けて観察や質問、提案などによって相手の内面にある答えを引き出す、目標達成支援の手法」
ご存知の方も多いと思いますが、コーチングには代表的な複数の流派があり、
それぞれに目指すことが違うものがある
そのうちのいくつかが、上記の定義に該当するものなのかもしれない
でも、コーチングには、もっとクライアントを変える力がある
こんなもんじゃない
例えば、こんな風・・・
「人生の捉え方を変えて、元々持っていた目標が霞むくらいの、より大きな目標を見出させる」
「他者との関係性を変え、軽やか、かつ、エネルギッシュに行動させる」
「自分の弱さを受け入れ、強さを確認し、弱さは弱さでないと気づかせる」
「過去を手放し、未来に希望を抱き、今を楽しませる」
「生と死を受け入れ、世界の豊かさに気づかせる」
もう、その人が別の人になるくらいの影響力がある、それがコーチング
少なくとも私の目指すコーチングが、これである
他のコーチングが悪い訳ではないので無用な比較はしませんが、
・どこまで人間の可能性を信じるか
・何を目指すのか
・クライアントの中に答えがあると思って関わるか
こんなところに違いがあると思っている
今回は3つ目の「クライアントの中に答えがあると思って関わるか」ということについて書いてみたいと思う
さて、クライアントの中に答えがあると思って関わるかというと、
私にその感覚はほとんどない
思うに、クライアントの中に本当の答えはない
(敢えて言うなら、クライアント自身が答えである ←分かりづらいですね😅)
もし内側に答えがあるのであれば、すでに辿り着いているか、いずれ辿り着く
そんな答えにコーチングは必要ないと思ってしまうのです
だから私はクライアントと一緒になって答えを探す
どこにあるかも、どんな形をしているかも分からない答えを探す
それは、今までに存在したことのない形をしていて、唯一無二
だから、目の前のものが正しい答えかどうかも分からない
撫でてみて、削ってみて、付け加えてみて、
いろんな味わい方をクライアントと一緒に体験する
もはや、答えの探索ではなく、答えを一緒に創造している感覚
あーでもない、こーでもない
クライアントのリソースとコーチのリソースをかけ合わせ、
気づきと気づきを共有し、
クライアントが潜在的に望むものを一緒に創り出すことが私のコーチングであり、創り出す場を創るスキルが私のコーチング・スキルだと思う
クライアントが常に主体であるため、「一緒に」というより
「支援する」「手伝う」などの表現が適切かもしれないが、
クライアントを自分より低くみているような気がして、
そういう表現は使いたくない
クライアントとコーチは、対等であり、仲間であり、同志でありたいと思う
どちらが上でもなく、下でもなくだ
だから、私は一緒に答えを創造する感覚を持ってコーチングをする
(・・・創造する???紡ぎ出すの方がいいかな?
まぁ、、、どちらでもニュアンスが伝わっていたら嬉しいです。)
とにかく、丁寧に、丁寧に、ゆったりと時間を共にするのです
そうすると、その先にクライアントの方の安らぎと笑顔が待っている
それを見たくて私はコーチングをしています。
毎回、ワクワクが止まらないです。
それでは、今日もコーチング・セッションに行ってきます!