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『ルックバック』を観てきた

映画『ルックバック』を観た。今作は、前半と後半とで受け取るメッセージがずいぶん変わる。

前半は、藤野が才能に嫉妬し、もがきながらも前進し、手放したあとに自分の才能を肯定してくれる同志と出会う物語。

自分よりはるかに絵のうまい京本が、自分を尊敬しているという。その事実に喜び勇み、藤野はまた筆を取る。

田舎道のど真ん中で、スキップだかなんだかわからない謎のステップを刻み、嬉しさをどう表現すればいいのかわからない表情を浮かべながら。作中ではあのシーンが一番好きだった。

あんなふうに、自分の作品や才能を愛してくれる人がいることは、とても幸せなことだと思う。そりゃあ、嘘の一言もぽんと出てしまうだろう。

小生意気ながらも、京本についた嘘を本当に塗り替えた藤野。そんな彼女らしさには、とても素敵で尊敬してしまう。

二人三脚で作品に没頭する蜜月はあっという間に過ぎ、漫画家の厳しい毎日を一人送るようになった藤野。後半の物語は、京本を襲った痛ましい事件と突然の死別からはじまる。

自分が連れ出したばかりに、京本は自分の道を進み、命を落とした。

後悔にくれる彼女とは裏腹に始まる、京本視点の物語。

死をまぬがれた彼女の「たられば」のストーリーは、藤野が前を向くきっかけになった。

僕が敬愛する『指輪物語』の著者、J.R.R.トールキンは、妖精物語(ファンタジー)には逃避の性質があると話している。彼は逃避をネガティブなものとしてとらえていない。現実から離れた場所に物語が連れ出してくれることで、人々は癒しを得るのだという。

この物語で、京本が救われるという一連のストーリーは現実からの逃避であり、同時に癒しになったのだと思う。結果、彼女は起きた現実と自分の選んだ道を直視して、また漫画を描き続ける日々へと帰っていった。

藤野は後悔の念に駆られ、「こんなもの(漫画)を描いても何の役にも立たない」と口にする。でも、この作品にはフィクションが持つ癒しの力への強い信頼を感じた。

1時間に満たない物語に散りばめられた描写を思い出しては、今も胸にジンと温かいものがあふれている。この胸に広がるものを頼りに、僕もなにかを始めたくなった。

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