他の誰かになりたいのではなくて、わたしは『わたし』になりたかったんだ
あの人たちが、まぶしかった。あんな風になれたらと思って一歩を踏み出した。そしてわかった。ほかの誰かになりたいのではなくて、わたしは『わたし』になりたかったんだ。
このnoteは2020年11月〜2021年2月まで「本質を学ぶ世界で初めての学校」EMS(エッセンシャル・マネジメント・スクール)を受講し修了レポートの形でまとめた内容を加筆修正したものです。個人的な学びのキロク、です。
#EMSに出逢ったのは
自己肯定感、という言葉を借りれば低いわけでもない、かといって高いわけでもない。3人姉妹の真ん中で、そこそこ空気を読んで世渡りをしてきたから友人に言わせれば「楽観的」「柔軟」「どんな場でもやっていけそう」。かといって「何となく」では乗り切れない場面ももちろんあって、それなりに落ち込む経験もしてきた30代後半。特に社会人になってからは思慮深さに欠ける性格が災いして几帳面な上司と同じチームになった時など、重箱の隅をつつくような指摘に毎日震えていたこともある。(ただし引きずらない性格に生まれたのは本当によかったと思っている。)
「なんて素敵なんだ、このひとは」と思える人に出逢うと高揚して「こんな風になりたい」「あんな風になりたい」とあれこれ妄想してしまうのも性格で。その時々に夢中でいろんなことに手をだしては、ふと冷静になると自分の進むべき道が見えなくて途方にくれることもしばしばだった。(それでも立ち止まらない性格だったのは本当によかったと思っている。)
EMS(エッセンシャル・マネジメント・スクール)で学ぼうと決めたのはそんな憧れのひとつから。育休中に出逢ったオンライン料理会telecookが楽しくて、会の雰囲気はもちろん何より運営のメンバーが生き生きと積極的に関わっていること、それぞれ性格や目指すものは違うように見えるのに、個性が見事にマッチした理想的なチームに見えたことがきっかけだった。
「正解はないからー」「楽しいは正義だよ」そんな風に朗らかに明言する大人に出会ったのは初めてだった。
この秘密はどこにあるんだろう。そんな気持ちでドアを叩いた。
ちょうど同じころ、新卒から働く会社での仕事の意味、についてもモヤモヤとしている自分がいた。いまのチームは居心地がいいし、仕事もたのしい。自分にあっているような気もする。でも時々のチームメンバーとの相性や担当業務に一喜一憂する自分は本当に心の底からこの仕事が好きといえるんだろうか。一生、続けていきたいと言えるんだろうか。遅れてやってきた’モラトリアム期’をどうやって乗り越えればいいのか、いや、乗り越えるべきなのか、やり過ごすべきなのかもわからなかった。
#講義を受けて
そうして迎えたEMS初日。午後9時に子どもの寝かしつけを夫とバトンタッチしたら、さあPCの前に着席だ。このスクールでは事前に講義動画を視聴、テーマに関する論文、あるいは書籍を読んでからオンラインでの講義に参加する。
自由の相互承認!?自由って自分ひとりのものじゃなかったのか!他者の恣意性を侵害しない限り保証されるものなのか…
肯定ファースト!?人は肯定されると自由で安らかな気持ちで人生を生きていけるのか!たしかに……
初回講義から心に刺さるキーワードの連続だった。
ひとは、それぞれの関心をもって生きていること。自分の関心や喜びはぼんやりしてわかりにくいけれど、自分の内的関心を知ることで「これぞ私エネルギー」がわいてくる。それぞれの関心をチームで生かせば人へのリスペクトが高まり、よいチームづくりにつながる。
第二回講義にして、ひとつの答えにも出逢ってしまった。なるほど、運営チームはそれぞれの関心・強みを生かしているからこそ心から楽しめていたんだ……
でも、理論を理解しても自分にあてはめてみるとそれはとても難しくて。
自分はどんな存在でありたいか=being
社会とどのようにつながりたいか=doing
そしてどのような社会であってほしいか
ちょうど友人と「beの肩書」ワークショップをやったり、コーチングを受けてみたりもしてみたけれど「自分」を見つけるのは予想以上に難航した。何年生きていても自分のことなんてわからないものだ。
#自分をさがす
EMSでは質問に答えて自分の関心を見出す’ワークグラム’という手法がある。
美波先生のセッションを受けてみた。
振り返る幼少期、楽しかったこと、夢中になって読んだ本。ああそうだ、わたしは「伝える」ことが本当に好きだったと思い出した。日々の暮らしの中で素敵なもの、人に出会ってエンパワーしたい、伝えたいとわくわくする気持ち。どうやったら伝わるだろうと試行錯誤する時間。どちらも自分の中でとても大切なものだったと、改めて気づく。
#巨匠に救われる 寛司さんのあり方
他者との関係性、自分の「あり方」についても学んだ。いくら理想の自分を求めても結局ひとは他人との関係性の中で自分を見出すことになる。でも他人は自分の思い通りにはならないし…
「ひとにはそうする理由がある」
「大切なのはあなたのあり方を考えること」
この2つの言葉を思い返すようにしただけで、日常が少しずつ変わり始めた。
#仕事のもやもやはどうなった?
「伝える」ことが大好きだった自分を思い出した。変わるのはまず「自分」だとわかった。
そうしたら、毎日の仕事にも自分から楽しみを見つけられるようになった。素敵な仲間を見つけると、よりエンパワーしたいと思うようになった。「なんとかなるよ!」「やってみよう」言い続けていたら周囲の雰囲気がよりよくなってきたような気がしている。なんて言ったって、西條先生はマネジメントを「理想の状態をなんとかして実現していくこと」と定義しているのだから。この先、かたちは変わるかもしれないけれどやっぱり「伝える」ことに携わっていきたいと思った。
#みんなにこにこ
振り返ってみれば、講師陣はそれはそれは高名な方ばかりでそれぞれの分野のプロフェッショナル。ふんばろう日本プロジェクトを立ち上げられた西條剛央さん、サイボウズの青野慶久さん、鎌倉投信を創業され、いまは共感資本社会を目指して通貨eumoの理念を広める新井和宏さん、伝説のメンター大久保寛司さん、東日本大震災でご家族を亡くしたご遺族の立場でありながら語り部としての活動を続ける佐藤敏郎さん…同じ場で直接講義がお聞きできるなんて、なんてありがたい布陣だったんだろう。
講師のみなさんに共通しているのはご自分がこれだ、と決めた分野に関してとことん「真剣」に取り組み、少しでも状態をよくしていこうと歩み続けていらっしゃること。そしてどの講師の方も専門領域のお話をされるときのお顔がそれはそれは楽しそうで。自然とあふれる笑み、とまらない話題。誰に強制されるわけでもなく夢中になって話してしまうってこういうことだ、と体現されていた。
ああいいな、すてきだな。こんな風に歳を重ねたいな、素直に思った。
自分を知り、強みを生かして「自分を生きる」ことはなにかを捨てることじゃない。研ぎ澄ますこと。そして強みを生かして支えあう社会=共感しあう社会は、それぞれが自由に生きられる社会だ。
#小さな一歩
あらためて考えた。
自分はどんな存在でありたいか=being=たくさんの考えに触れ、いつも学んでいたい。わくわくを見つけていたい。
社会とどのようにつながりたいか=doing=自分が心動かされたものを、ひとを、エンパワーし続けたい。そして広めたい。その気づきで誰かの日常がほんの少しでも楽しく豊かなものになってほしい。小さくても一歩を踏み出してほしい。
どのような社会であってほしいか=それぞれが自分の強みを生かしてのびのびと楽しめる社会であってほしい
#10回の講義を終えて
全体を通じて痛感したのが「自分は未だ何者でもない」ということ。学問を追求したり会社を経営されたり、学びあいの場を長年開催されたり多彩なメンバーに囲まれる中で自分の視野がいかに狭かったかを知った。それでも暗い気持には全くならず、教えていただいた学びからこの3ヶ月だけでも自分の世界がぐん、と広がったのを感じる。「自分をみとめゼロから育て直そうという意志=unlearing」この意義さえも今回の気づきに内包されていることが、すごい。
#絶対再訪したい、名店レストラン
「豪華すぎるビュッフェ」講義の半ばでこんな言葉を聞いた。いやもうほんと、お腹はいっぱいだし手をつけられていない魅力的なお料理はあるし(読めていない関連図書もたくさんあるし)修了を迎えたいま、え、もうラストオーダー!?と未練でいっぱいだ。でもわたしはこんな素敵なレストランがあることを知ることができたから、また、ここに来られる。そして再訪の日にはきっとスターシェフがまた勢揃いで、最新の美味しい料理で迎えてくださることを確信している。
そう、このレストランはシェフもウェイターもスタッフもBGMも御客様もすべてが最高。ここにしかない空間を全員で作り上げ、楽しみ、それぞれの場所に余韻を持ち帰る。誰一人かけてもきっと出来ない。そして新たな場所で小さな変化がおきて…なんてサイクルを想像するとわくわくが止まらない。
「ファクトフルネス」の著者ハンス氏が書いていた「世界はよく見るとよい方向に向かっている」。うん、きっと、難しいことはたくさんあるけれど、それを変えていくのは一人一人の意志なんだ。理想を描けば、なんとかしていくことはできるんだ。そう考えたら、自分のすること一つ一つがなんだかとても愛おしくなって、そして自分の周りのひともとても愛おしくなった。
わたしは「わたし」を幸せにする。そして周りのひとを幸せにする。まずはそこから、小さな一歩を。
#エピローグ
…あの人たちが、まぶしかった。あんな風になれたらと思って一歩を踏み出した。そしてわかった。ほかの誰かになりたいのではなくて、わたしは「わたし」になりたかったんだ。
これからもゆっくり想いを綴っていこうと思います。
(おわり)