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未来はすでに起こっている
いつものように審判や相手チームに挨拶をして左のバッターボックスに入った。サードからホームベースへと続く白いラインの延長線上にバットを寝かせる。左足を置く場所を決め、右足をやや一塁ベース寄りに開く。
2024年6月21日(現地時間)。大リーグのドジャースタジアムで行われている対エンゼルス戦は、今シーズンからドジャースでプレーする大谷翔平選手にとって、初めての古巣チームとの試合だ。第1、2打席は四球で歩いた。第3打席は5回裏に回ってきた。
エンゼルスのムーア投手が3球目の投球モーションに入る。大谷選手はバットを大きく立てて目を見開いた。
マンダラチャート
大谷選手が花巻東高校時代の2010年、17歳の時に作成した曼荼羅(マンダラ)チャートは有名だ。
これは目標を達成するために思考を整理し、具体的な行動目標が書かれた表のこと。9×9=81個のマスの中央に目標を書き、それを実現するための細分化した要素を周囲の8個のマスに書く。その上でそれぞれの要素につながる行動を周りに書き連ねていく。
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大谷選手がつくったチャートの中央には「ドラ1」(プロ野球ドラフト一位指名のこと)とある。その周りに身体能力面の要素が5つ、精神・人格面の要素が3つ。
身体能力面では、体力やコントロール、スピードなど、明確な将来の野球選手像とそれらを獲得するための行動が描かれている。
「可動域(を広げる)」というワードが3カ所もあるのは印象的だ。これは例えば股関節など身体のあらゆる箇所の動く範囲を広げるということだろうか。恵まれた身体能力を最大限に活かすという強い意思が表現されているように思う。
さらに、「運」という、自分ではコントロールできない領域まで言及されている。「あいさつ」、「ゴミ拾い」、「審判さんへの態度」。大リーグの試合で自然に見られる大谷選手の行動は17歳の頃から続けていることが分かる。
大谷選手は調子のよい時も悪い時も、インタビューで応じる口調や表情はあまり変わらない。いつも淡々と自身を振り返る。
4月8日。専属通訳だった水原氏の事件に関して問われた時にはこう応えている。
「野球をやるときに、特に、そのことを考えてはないですし、やってきた技術であったりは基本的には変わらないと思うので、それをまず信じてグラウンドの中で100%表現するというのが僕の仕事なので、そこは、グラウンドの外で何があっても変わらないところかなと思います」
5月17日。ドジャースに移籍して初のサヨナラヒットを放つ。興奮冷めやらない球場とは対照的にこのようにコメントした。
「ああいう状況で、打てたことが次の打席にももちろんつながる、あす以降にもつながると思うので、すばらしい瞬間でした」
思考はいつも未来へと向かっている。
マンダラチャートの「メンタル」の箇所には「一喜一憂しない」「頭は冷静に、心は熱く」という言葉が書かれている。
終わったことに気持ちを揺さぶられない。その瞬間からどうやってより良い明日を迎えるかを考えている。
未来思考
私たちは普段さまざまな夢や目標を掲げる。社会を変えたいという壮大な夢もあれば、自分のなりたい姿もある。10年後に達成したいこともあれば、今年の目標もある。なしとげたい仕事であったり、資格の取得であったり、ダイエットであったり。個人だけでなく組織としての目標もある。
どんな目標であれ実現するためには共通して必要と思われる思考法がある。それは、「未来から逆算して考える」ということだ。
夢が壮大であればあるほど、それは現在の延長線上にはない場合も多い。そんな時、「時間は未来から現在へ流れている」と捉える。そして未来を実現するための行動とそのタイミングを明らかにしていく。
今までの生活の繰り返しでは到達できないことが分かれば、生活環境を変えることも一つの行動になる。
目標と行動を掲げるだけでなく、臨場感を持って目に見えるよう生活環境をデザインすることは重要だ。17歳の大谷選手にとってそれがマンダラチャートだったのだろう。
自分自身で四六時中、未来を意識し「日々の大切な習慣」として実践し続ける。そうすることで未来はいつの間にか日常に入り込み、当たり前のこととなっていく。マンダラチャートに描かれた目標と8つの要素と64の行動は10年以上前に起こっていたのだ。
「大手メーカーの未来研究者による門外不出の 企画思考トレーニング」ではそれを「未来の記憶」と呼んでいる。自分のなりたい姿やありたい社会を想像し、そのイメージを『実際に起こる未来』のように心に描く。
次の未来へ
ムーア投手の投げたボールは真ん中高めのストレート。大谷選手のフルスイングするバットに吸い込まれた瞬間、ボールは乾いた音を響かせてバックスクリーン右側の観客席中段に飛び込んでいった。
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大谷選手は確信した表情で一歩、二歩と進んで、放物線を描くボールの行方を目で追う。それからゆっくりとダイヤモンドを走り始めた。
当時の目標は遠く昔に達成したが、大谷選手の行動は今も続いている。マンダラチャートと合わせて当時作成した人生設計シートには「ワールドシリーズ優勝」という文字もある。
未来はすでに起こっている。
<参考文献>