思い込みに気づくと社会はよくなる
相手のふとした言葉で自分の思い込みに気づくことがあります。
「年寄り扱いしないで」
夏の日の母の一言も、そんな気づきを与えてくれました。
コロナ禍
2年前、新型コロナウィルス感染症の緊急事態宣言が発出され、それを機に多くの人の日常生活は一変しました。人とリアルに会うことはリスクとなり距離を求められます。オンラインでのコミュニケーションツールが苦手な人ほど孤独や先行きの不安をより強く感じたのではないでしょうか。
母の年齢は70代。同じ年頃の父と暮らしています。少し前までは外で仕事もして友人との交流も活発でしたが、コロナ禍になって家にこもるようになりました。
「こんなことが起こるとはね・・」母はよく電話でため息をつきました。
彼女は家の中でもマスクをしている様子。一日に何度となく部屋の隅々まで掃除をして消毒を徹底しています。それはそれでよい運動になるかもしれませんが、神経質になりすぎるのも心配です。
自転車で通える距離に暮らしているのですが、万一のことも考えるとなかなか自宅に寄ることもできず、時々電話で近況を確認する関係が一年以上続きました。
母の携帯電話はずっとガラケーです。ビデオ通話ができるスマートフォンに変えてはどうかと提案してみるのですが、未知のテクノロジーへの抵抗が強いようでした。
小さな転機は2021年11月。母をバードウォッチングに誘ったことです。
バードウォッチング
誰もが行動制限がかかったこの2年間。
私自身、それまで週末の家族との楽しみといえば、妻と一緒に子どもの部活の試合を観戦したり、街に食事に出かけたりすることでした。しかし、コロナ禍になって気軽に人と会ったり、リアルなイベントに参加することが難しくなりました。そんな中、妻との共通の趣味として新しく加わったのがバードウォッチングです。
たまたま見つけたブログで、自宅から遠くない河川敷や公園に美しい野鳥がいることを知りました。2021年2月のことです。以来、週末になると野鳥を観察しにでかけるようになりました。都会でも緑と水場がある場所には意外なほどさまざまな野鳥が集まってきます。
通年で見られるのは、カワセミ、モズ、ハクセキレイ、キジなど。
秋に大陸から渡ってきて冬の間見られるのは、ツグミ、ベニマシコ、ジョウビタキなど。
春に東南アジアなどから渡ってきて夏の間見られるのは、オオヨシキリ、キビタキ、オオルリなど。
街中で見られる鳥といえばハトとスズメしか知らなかった私の前に、突然新しい世界が広がりました。こんなに色鮮やかで多様な鳥の世界が身近にあるとは。美しい声で鳴く小鳥が実は数千キロを旅してここまでやってきたと思うとそれだけで感動的です。
鳥を探して公園や河川敷を歩き、木々の緑に目をやり、色鮮やかな鳥を見つける。出会ったバードウォッチャーと情報交換し、談笑する。野鳥観察をする人はどちらかというと高齢者の方が多いけれど、中には若い人もいて世代を超えた交流も生まれる。帰宅してから書籍やインターネットで鳥の名前や生態を調べ新たな知識を得る。
三密も回避できるバードウォッチングは、母が心身ともに健康でいられるのに最適だ。そう思って母を誘ったのでした。
母との交流
初めて母と訪れた場所は河川敷。通りがかった年配の男性が「あそこにキジが隠れているよ」と教えてくれました。スマートフォンを取り出して写真まで見せてくれました。
「こんな鳥がいるんですか!」と目を輝かせる母に、このあたりで見られる鳥のことを色々と話してくれます。
しばらくすると、草むらから一羽のオスのキジが姿を現しました。
さらに向こうからアオサギがぶらぶらと歩いてきます。このあたりの釣り人から「アオ」と名付けられていて、魚が釣れるともらいにくるようです。驚く母に釣り人が笑いながら教えてくれました。
この日は母にとって新しい世界を知る一日になったようです。それからというもの、月に何度か一緒にバードウォッチングにでかけるようになりました。
彼女はいつの間にか野鳥図鑑を購入していて、見た鳥のページには付箋がつけられています。
やがて春になり、ガラケーはスマートフォンに変わりました。
夏の日の一言
夏になって気温が上昇すると鳥たちも活動が少なくなるので姿を見かけるのが難しくなります。とはいえせっかく出かけるなら野鳥を見せてあげたいもの。朝の涼しいうちに目当ての場所にでかけて効率よく観察するには車を使うのがいい。万一、熱中症にでもなると大変です。
だからバードウォッチングに誘う時は毎回車で送り迎えすることを提案していました。ところが、母はかたくなに拒否。特に帰路は道に迷う心配が少ないので車に乗ろうとはしません。
7月のある日のこと。母は自宅まで5kmの道を歩いて帰るといいます。日陰が少なく強い陽射しの中を歩く母に、カーシェアリングなら近くにあるので車を借りて送るよと何度も話しかけていた時でした。
「大丈夫。年寄り扱いしないで」
前を向いたまま、そう言いました。
自分は人よりも足腰は強いほうだ。まだまだ自分はしっかりしているし、自分の足で歩けると思う。歩いていると色々と話したいことも出てくる。私は歩きたいのだと。
そうか。
私はいつの間にか、彼女に野鳥を見せること自体が目的になってしまっていたようです。
でも本来は、母が心身ともに健康でいられるようにと願ってバードウォッチングに誘ったはず。先行きの見えない社会環境の中で、毎日をいきいきと暮らすきっかけになって欲しいと。
母はすでに野鳥を通じて未知の世界を楽しむ気持ちがめばえ、自分で歩きたいという意欲を持ち、人と話す楽しさを再発見していました。それはいきいきと暮らす日常を取り戻しているということでもあります。
「高齢者だから歩くのは大変だ。移動は車のほうが楽に違いない」そんな思い込みが時に人の意欲をそいでしまうことがあるかもしれません。「万一、熱中症にでもなったら・・・」という気持ちは一緒にいる自分の責任を逃れるための自己防衛心でした。大切なのは、安全は確保しつつも、意欲がより高まる方向へ進むこと。
よりよい社会へ
年齢などさまざまな個性にかかわらず、誰もが自分らしくいきいきと暮らせる社会になる。それは人生100年時代、世の中がますます多様化していく中で思い描きたい社会の姿です。
そのためには、周囲にいる一人ひとりと向き合ってみること。その中で自分の思い込みに気づいたら、相手への関わり方を見直して言葉を変えてみること。生きる意欲が昨日より少しでも高まる方へ。
そんな一つひとつの積み重ねで、私たちはよりよい社会へ近づいていくことができるのではないでしょうか。