忘れられないあの日のこと。
※少し苦しい表現があります。家庭環境の苦しみがまだある方は読まないでください。
正直、いろんな出来事の時系列がまざってしまっているのだけど、
あれは確か、長年父から暴力を受けてきた母が反撃して大きなウイスキーの瓶で父の頭を殴った時のことだったように思う。
いつものように争うような声が聞こえ、一階に降りようとしていたところ、ガシャンというガラスの割れるような音がした。
胸のざわつきを感じながら急いで階段を降りると、今にも人を殺してしまいそうな鬼の形相をした母と、頭から大量に血を流している父の姿があった。
(ついにやった…)
そう思った私は自分でも驚くほど冷静に、母の手からウイスキーの瓶を奪い取った。
音を聞きつけて2階から降りてきた妹は、目の前の状況に凍り付いている。
「急いで救急車電話して!!」
そう言った私の声も、妹には全く届いていない様子だった。
私はすぐに電話の受話器をとり、
救急車を呼んだ。
…つもりだったが、気が動転していたのか、間違えて警察に電話をしてしまったのだ!
とっさに(母が捕まる!)という恐怖が襲ってきた。
「間違えました、きて欲しいのは救急車です。」
そう答えると警察は
「大丈夫ですか?事件性は?」
と何かを察知したかのように聞いてきた。
「大丈夫です、ありがとうございます」
そう言って電話を切り、急いで救急車を呼んだ。
「サイレンの音を消してきてもらえますか」
驚くほど冷静な自分がそう言っていた。
若干15歳の私だ。
一通りの情報を伝えたあと電話を切り、私は父の身体を支えながら家の前の道に出た。
10分ほどすると、頼んだ通り、サイレンの音を消した救急車が到着し、パジャマ姿のまま私は同乗した。
どうしましたか。
目の前の不自然な惨状から状況を聞こうとする救急隊員に父は家庭内の恥ずかしさを隠すかのように笑いながら答えた。
「ちょっと、まぁ。大丈夫ですわ!」
ふざけるな、くそおやじ。
何も大丈夫なんかじゃない。
少なくとも、今私は救急車に乗っている!
わたしは、
やっと人が来てくれた。と思った。
私や妹、父や母以外の第三者がそばにいてくれる安堵感からか、突然手足が震え出した。
そしてその震えは徐々に全身に広まった。
子どもの頃からあった首のチック症状が現れた。
涙も溢れたけれど、誰にも見られないようにパジャマの袖で拭いた。
とにかく人がそこにいてくれることに、すごく安心した。大丈夫だと思えた。
やっと見つけてもらえたと思った。
壊れたままこれまでずっと続いてきたおかしな惨状から、やっと助けてもらえる、と。
病院に到着し、治療室に入った。
医師がピンセットでひとつひとつ父の頭に残ったガラスの破片をつまみ出している。
父はありえない状況で医師と談笑している。
不自然すぎる光景に、怒りさえ出てきた。
その横でパジャマ姿の私はその様子を見ていた。
不思議な感じがした。
物心ついた時から見てきた父と母の争い、大声、暴力、ケガ、血。
私にとってはあまりに日常だったその光景の、細く長く続いてきた時間の線の上に、医師とか、看護師とか、人とかっていう、赤の他人がいる。
非日常な光景が、目の前で淡々とあらわれていて、それを私は少し離れたところから見ている。
そんな不思議な感覚だった。
これで終わるのかな。
そんなわけないのだけど、狭い箱の中で起こっていた地獄の日々が、ここで公になったことで、何かぎ変わるかもしれない。
そんな期待が、少しだけうまれたのを感じた。
一通りの治療が終わり、包帯でぐるぐるまきになった父の頭は、ドラゴンボールのクリリンみたいだった。
私は父の腕を持ち、身体を支えながらタクシーを拾い、家に向かった。
外はうっすらと明るくて、もう夜が明けかかっていた。
一晩で起こったことの重さが、透き通った夜明けの空気に紛れて、何だか救われた。
それと同時に、
目の前に広がる夜明けの美しさと、自分に起こった汚く覆い被さる家族のよどみが、私を混乱させる。
この朝もやけの霧の中に、全てが飲み込まれて消えて無くなってしまえばいいのに。
憂鬱の中の憂鬱さが、また私を襲った。
タクシーに乗った瞬間から、一気に現実が襲ってきた。
家に帰って、どうしよう。
父を母と同じ場所に戻すわけにはいかない。
殺されてしまう。
とんでもない恐怖が、どっと押し寄せてきた。
父の携帯を借りて、姉たちに電話をかけた。
早朝なので、誰も電話に出ない。
最後に一番下の姉が出たが、父を泊めてほしいと頼むと、とっさにとり作られた理由で断られた。
ほどなくして帰宅し、父を私の部屋で寝かせるつもりでいたが、父は大丈夫だと言って母の寝ている和室に入り、母の隣にならべた布団のなかに入っていった。
母がトドメを刺すのではないか…
恐怖と混乱のなかで、2人が眠る和室のドアの前で座ったまま目を閉じた。
起きて見張っておくつもりだったのに、いつの間にか寝落ちしていたようだ。
母が起きてくる物音で目が覚め、ここにいたことに気づかれないように急いで2階に上がった。
母はいつも通りだった。
顔は曇っていたけれど、いつものように私と妹を態度と言葉で焦らせた。
ガチャガチャと音をたてて食器を洗いながら
早く朝ごはんを食べるように私に言った。
なんだかどっと体が重くなって、
寝てない疲れなのか、怒りなのか、恐怖なのか、よく分からない気持ちになった。
母が後ろ姿のまま言った。
「今まで私はあの人に何度も殺されかけてきたんだから、これくらい大したことない」
この時の私の気持ちをどう表現したらいのか、今でもわからない。
ただ一つ言えるのは、
聞きたいのはその言葉じゃなかった、ってこと。
とてつもない悲しみが押し寄せてきた。
多分だけど、私は母に、ごめんね、って言って欲しかったんだと思う。
物心ついた時からずっと、父と母の争いを見て育った。
ただの言い争いじゃない。
ビール瓶が割れる。お皿が飛んでくる。炊飯器が玄関から投げられる。包丁を持った父が母を追いかける。血が出る。
そしてその一通りが終わった後、その残骸を片付ける母を横目で見ながら、いつも手伝った。
母は時々、泣いていた。
1日も欠かすことなく、それは毎日続いた。
幼い私と妹は、それに慣れていきながらも、ただそこにいるしかなかった。
昨日起こった出来事は、今日まで続いてきた、私たちにとってはあまりに当たり前の日常の一つを切り取ったものに過ぎない。
切り取ったそれが、すこしだけ他の人の目に触れただけ。
とんでもない眠気と体のだるさが、余計に私を悲しくさせた。
昨日、私、寝てない。
ずっと、お父さんに付き添って病院にいた。
今朝までずっと。
怖かったし、寒かったし、こわかった。
いろんな恐怖と悲しさが交互に私を襲ってきたよ。
お母さん、私って何なんだろうね。
私って、ただ後処理するだけの、ただそこに居合わせただけの、たまたま都合の良い存在なのかな。家族って、とても軽くて、とても重い。
ごめんね、って聞きたかった。
こんな想いさせてごめんね、ってお母さんに言って欲しかった。
そうしたら、きっとこれまでのことも、スッときれいに消えてしまったかもしれない。
笑って、大丈夫!ってお母さんに言えたかもしれない。
どうしようもない悲しみと、惨めさと、世界から遮断されたような孤独感が私につきまとって離れなくなった。
翌朝は高校の球技大会だった。
眠かったけれど、さっきまで起こっていた非日常な光景が脳裏に焼き付いていて、体がふわふわしていた。
いま目の前に映っているのは、いつもの平和な学校での光景。
その事実が、救いのようでまた残酷さだった。
何でこんなこと、今更思い出して、こうやって字に起こしてしまうのだろう。
多分、あの時置いてきてしまったわたしを、時々迎えに行ってあげているような気がする。
あの頃は、目の前のことに必死で、そこから逃げることもできなかった。
未成年だという事実や、いろんな理由から、逃げることなんて選択肢にはなかった。
ただ孤独や悲しみや苦しみに、どっぷりと浸かることしかできなかった。
でも同時に、そこから逃げるように記憶を葬ってしまったり、不思議な現象(解離というらしい)をおこして生きることを選んできた。
ただ私は、自分が今日この日まで生きてきたという事実を、そのまま受けいれて認めてあげたいのかもしれない。
どこまで行っても自分を見つめるしか解決法はない。
どこまでいっても逃げられない。
どこまで行っても、私の中に全ての答えはある。
私が唯一大声で言えるのは、
逃げなかった。ってこと。
どんなに苦しくても、逃げずに目の前のことに向き合ってきた、ということ。
別に逃げたっていいんだけど。(それも超正解)
まずはそんな自分を、見てあげたいから。
だからこうやって思い出したくもない過去の出来事を書くのかもしれない。
ただ苦しかった!っていいたいんじゃない。
あの頃の私を、迎えに行って、抱きしめて、大丈夫だよって言って、そしてまた今に戻ってくる。
そんなことをただ、ときどき、している。