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2025年は、「器」の年。DOのまえにBE。
新年、明けて初めての投稿。
最高の2025年が始まったね(予祝)
昨日、2025年1月21日は銀河系惑星の直列という奇跡的な日。
今日は特別な日だな、と思いながら「いい日常」を送るのが幸せ。
年末年始は、ひたすらに自分に集中する時間を取った。
じつは年始に書き上げた、別の下書き記事があったのだけれど、なんだか公開する気にならなかった直感にまかせて、改めてこの記事でスタートをしようと思う。
わたしの今年のテーマは「器」だ、と
1月11日に温泉に浸かっていたら浮かんだインスピレーション。
12月が誕生日の私にとって、1ヶ月くらい前倒しで翌年の空気が流れ始める感覚があり、今年は「大きくジャンプする年になるなあ」という予感とともに、年末年始を過ごしていた。
大きくジャンプするから、「飛」「躍」みたいな漢字かなあ・・・と思いながらも、なんだかしっくり来ずにいた。思い返せば、11月からわたしが受け取っていたメッセージは「身体を使う」ことだったんだ。
「器が大きい」「器を広げる」という言葉があるように、2025年の私は、今までのまま飛び回るよりも、どっしりと「大きいものを受け止め、めぐらせる器」を意識することで、自然と事が進んでいく感じがするのだ。
そうそう、《DOのまえに、BE》としての言葉を自分にリマインドしてあげたいと。
5つのBE(器)、そして2つのDO(陰陽)
①《雅》しなやかな器
②《空》すきとおった器
③《喜》よろこびの器
④《美》うつくしい器
⑤《真》まことの器
+
❶(陰)《静・調》しずかにととのえる
❷(陽)《流・環》ながしてめぐらせる
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それぞれのニュアンスを取り出して意識したいものを言葉にしたが、すべてが止まっているものというよりは、流れたり混ざりあったりしながらの、ひとつの器。
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こういうことを考えている時、にやにやと集中している。趣味です。
①《雅》しなやかな器
しなやかさは、屋久島の木々が、強風に揺さぶられながらも折れないくらい、しっかりと根っこを張って強く柔軟性のある幹を持っている、そんなイメージ。当てはまる漢字がいくつかあり「韌」もよいけれど、「雅」のエレガントさが好き。
これは私にとって最大のテーマでもある、身体という器のととのえ方。考えるのも、インスピレーションを受け取るのも好きで、ひたすらに「感覚を研ぎ澄ます」ことに意識がいくと、ついつい脳や精神のところでばかりエネルギーをまわしがち。2.5時間から3時間のアートセッションを終えると、座っているだけなのに、山登りしたみたいにお腹が空く。
いい”お志事”をするにも、やっぱり身体が資本だと再確認した年末だった。
年明けから朝のラジオ体操と、散歩を始めたよ。まず、足元の「暮らし」の雅やか、さから。そんな基本的なことからやっていこうと思っている。
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屋久島のワイルドさ(高低差)
②《空》すきとおった器
感覚を研ぎ澄ますこと。邪念・我・執着がない、空(くう)の状態。これは2年ほど続けてきて、日常になってきたけれど、Envision Uのアートセッションをやっていくにあたり、さらに研ぎ澄ませたいと思っている。なぜかというと、空っぽにするとインスピレーションが入ってくるから、受け取るための大切な器作りなのだ。
だから、セッション中の私の在り方は、整った器(①②)であり、真善美を生む器(③④⑤)であること。頭は働かせるのだけれど、できるだけ思考を働かせない、という感覚。足で走るのではなく、水の中を移動する感じ。伝わるかな。
・頭を空っぽにする時間を作る
・菌たちを整える、朝のそうじ
・五感を研ぎ澄ませて、第六感、第七感へ
・周波数を整える
・自分の人生に集中する
・自分のごきげんをとっておく
前に記事にしたこんなシンプルな習慣もその一つ。
《空(くう)》は仏教の言葉で《色即是空》の空。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』では《虚(きょ)》という概念で出てくる。
「空っぽさと、そこに入るもの」について興味深い話(『陰翳礼讃』について引用して書かれている本)を見つけたので以下抜粋。
ウツロイは、移行・変化・変転などを意味しています。意味はそうなのですが、ここに「うつ」という言葉(語根)が使われている事に重要な消息があります。「空」「虚」「洞」という漢字をあてますが、うつろいはこのうつから派生した、つまり空っぽのところから何かが移ろい出てくるのが「うつろい」なのです。うつは何か情報を宿す力をもっている。内部が空洞なのにそこに何かが生まれたり、宿ったりするという生成力を持った言葉でした。
ウツロイと言う言葉が万葉の歌では色や匂い~月や花が移ろう様子に詠まれ、その後、人のこころ、さらに人の世のうつろいやすさを歌うことが多くなってきた。つまり万事万象が移ろっていることを表現するための言葉だろうということになる。
日本人はそこに「無常」を感得した。うつろうものはすべて「常ならぬ」ものですから、言葉上でウツロイと無常が結びつくのは至極当然です。ウツロイは無常感そのものだったのです。現代の日本人の多くは無常というと、なんだか否定的というのか、消極的というのか、どこか「あきらめ」のようなものをともなっていると感じるのではないでしようか。しかし、必ずしもそうではないのです。
ウツロイはそこに何もないと思えているのに、何かが生じてくる事です。無常を感じることによってかえってそこから何かが移り出てくる。また何かが映し出されてくるような感覚が新たに生じていく。無常感にはそういうクリエイティブな見方も含まれているはずなのです。これを言い換えれば、「負」や「無」だとみえていたものから新たな価値が出てくる可能性がある。見えないことやマイナスはプラスを生む可能性があるということです。その途中のプロセスこそ、ウツロイなのです。
もう一つ、ウツ(空)は ウツツ(現実)も派生していたということ。ウツツとは夢とは正反対のリアリティをもった現実的な状態の事です。そのような「現」と「夢」とを王朝人は一対につなげて対比するようになります。「夢か現か」からさらには「夢うつつ」という言葉すら生んでいったのです。ウツとウツツが、「負」と「正」が、互いに出入りしているのです。
こうなるともっと大事なことが見えてきます。ウツとウツツのあいだにはウツロイがあるのです。ヴァーチャルな無のウツとリアルな有のウツツ、ウツとウツツは正反対の意味を持ちながら、それぞれリバースに行き交っているのでした。そのウツとウツツをウツロイがつないでいたのです。
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③《喜》よろこびの器
これは、わたしの魂から湧き出てくるものに従うことと、意識的に光を見る選択という二つの感覚。
ひとつめは、やりたいからやる。目に見える自他への期待や、見返りによって行動することをできるだけ手放すイメージ。②の《澄・空》のはなしでいうと、「邪念・我・執着」も別に悪者じゃないのだけれど、何か重い質感がある。❷の《流・環》にもつながっていて、自分が世界に放ったものはどんな形であれめぐってくる、ということを腑に落としてのびやかに進んでいく感覚。
ふたつめは、すべては意識次第だから、光として捉えるという選択。陰陽はセットで、そこに良い悪いのジャッジはない。でもついつい、闇や陰をどうにかしたい、という志向になりやすい。意識を向けた方向に現実は作られるから、自分自身に対しても、セッションを受けてくださる方に対しても、光を見る意識でいる。
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④《美》うつくしい器
これは、自分の美学を磨いて表出させていく、感覚。うつくしいと思える自分のあり方、生み出される作品のあり方、伝え方や、コミュニケーションのあり方、材料、世界との関わり方、などなど。
この記事で器として言葉にしていることも、自分が捉えている美学の一つなのだと思う。
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⑤《真》まことの器
ここで書いたすべてをひっくるめて、宇宙の法則に則っているイメージ。三次元から、もっと高次のところまで行き来しながら、スムーズにたゆたい、流れに乗る。
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陰陽はなぜ、陰が先なのか
”明確な答え”的な引用は見つからなかったのだけれど、なんとなくわかる。深呼吸は、「吐いてから吸う」のがいいらしい。古い空気を外に出し切って空になるから、あたらしい空気が入ってくる。植物の種は、まず暗い方へ根っこを伸ばしてから、明るい方へ芽を出す。②で引用した《空・虚・洞》の話にも通づるね。
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❶(陰)《静・調》しずかにととのえる
休む、静かに過ごす、一人の「無」の時間を取る、自然でグラウンディングをする、元気を蓄える、ということ。私たち現代人はどうしても、動く方にばかり意識が行きがちだけれど、まず元気がある状態だから動けるのだ。2024年の末あたりから実践し始めた「自分の人生に集中する」にも近い。意識をし始めると、どれだけ意識が散っているか、エネルギー漏れ行動をしているかに気付かされる。
野生の生き物は、無駄な動きをしない。食べ物を採る・狩る・種を残す以外のエネルギーを温存するために基本的に休んでいたりする。昔の(縄文くらいかしら)人々は、1日に数時間くらい”しごと”的なことをしただけらしい。狩猟民族も、狩りをする時期と休む時期があるらしい。農耕で食をまかなっていた時代をイメージしても、育てる時期と、植物が休んでいる時期にあわせた、外の活動と、内での編む・縄をなう・縫うような緩急のコントラストのある時間がきっとあったはず。
❷(陽)《流・環》めぐらせる
最後はエネルギーの流れについて。自分が世界に放ったものはどんな形であれめぐってくる、ということを腑に落としてのびやかに進んでいく感覚。流れるのも、めぐるのも、自分の力じゃなくて、自然現象。自分であり、自分でない。古典物理学的な、三次元的なアクションや因果関係に囚われすぎない。
ここで書いた、「自分に流れ込んでいる才能の蛇口を解放して、出てくるものを出す、流す」という話もこれだ。
おわりに
いつもは質問を投げかけて締めているけれど、
今回は、ただ出したかったお話だから、ただ書き終わってみる。
わたしと2025年にご縁がある方々は、きっとなにかの共鳴があるはず、と思いながら、すでにあるご縁の広がりと未知のご縁にわくわくしている。
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