「トットひとり」(黒柳徹子著)の感想。(少しポンと背中を押されたような気持ちになった)、そして、「七夕(チルソク)」、わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪。
黒柳徹子さんの本です。
本の表紙写真は、びっくりしました。篠山紀信さんの写真といえば・・。わかるでしょ?
本の内容は、黒柳徹子さんと交友があった、「同じ匂いのする人たち」の回想録。
そして、もちろん、悲しい別れ。
「私の遅れてきた青春について」(p9)
最初は、ザ・ベストテンの誕生、それに関わった方々のお話。寮母のおばちゃん化する話。へえが5ぐらいついて、思わず動画をチェックしてしまいました。
心に残ったのは、向田邦子さんのこと。
「霞町マンションBの二」(P45)
「禍福は、あざなえる縄の如し」という言葉。
何か、この言葉を読んで、自分自身も、還暦すぎで、「自分自身は、自分について回るのは、悪運のみ」。夫と、結婚してから、夫は、山人なので、そのメリハリがわかるのです。この遠征は、「成功したか」「否か」ってこと。「生」と「死」、ロシアンルーレットと、言ってましたが、禍福というものは、何か規則性があると今になって思うのです。
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向田邦子原作「向田邦子新春ドラマスペシャル」は、私の大好きな番組でした。「あの頃の東京の空は、今よりも、ずっと青かった」・・昭和の青空、昭和の色、匂い、感触、音・・何か寂しげなものがいつも心に残った。テーマ音楽、小林亜星さんの「過ぎ去りし日々」は名曲です。(私の偏耳かもしれませんが、ちょっと、出だしの音を変えるとランゲのある曲に似ていることに気がついた。)あのメロディを聴くだけでも、ジーンとしてしまいます。そのナレーションが黒柳さんだったとは、この本を読んで初めて知りました。
「ねえ、一回どう?」(P86)
森繁久弥さんの八十八歳の最後の暗唱は、身に染みました。
徹子の部屋へ、ご出演なさった時の話です。
・・・
「いま思い出したんだけど、荻原朔太郎の詩を少しやっていいですか」
利根川のほとり
きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらえて
今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。
(圧巻だったろうなあと。)
私が、実家で爆発して、たまには、違った経路で、帰ろうと、やぶれかぶれになって河原に入る。あの時の思いかなあ。そんな思いが何度もあるが、それでも生きている。
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「幕が上がる時」(P287)
最後は、ワーズワースの詩が文中に。
「草原の輝き 花の栄光
再びそれは還ずとも
なげくなかれ
その奥に秘められたる力を
見出すべし」
黒柳さんと同じ匂いのする仲間たちがいて、悲しい別れという形であっても。
「人生とは」を書いてあるような気がする。少し、背中をポンと押されたような気持ちになりました。
「私の母さん、私の兄ちゃん」(P116)
黒柳さんにとっての「母さん」は、沢村貞子さん。「兄ちゃん」は、渥美清さんのこと。
特に、渥美清さんの印象は、前々から少し知ってましたが、ものすごくストイックな方だったようです。
黒柳さんに対しては、「お嬢さん」と呼ぶ。それに、「なんか、買ってやるよ」と。粋だなあと思った。何歳になっても「なんか、買ってやるよ」という人がいたら、素敵だなあとも。
役者魂を感じた。これだけはやってはいけない喜劇役者の暗黙のルールというもの。舞台に立つ人、クリエイターの皆さんも、同じだと思います。
「私たちは、同情を得ることができないのです」と、ウルフの言葉を噛み締めた。
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七月七日 七夕(チルソク)
思いもかけない山人が、前夜は、イノキの携帯に電話かけてよこして、イノキ、迷惑そうで、「あんた、電話ぐらい出てあげなさい!!」って。
イノキは、それどころか、彼に、自分の山歩きのことまで話して、彼、「○○ガイド事務所をしておりまして、なんとか山など昨今行きましてねえ・・」とか、しっかり山のレクチャーセールストークしているのではないか。
チルソクの夏日、電話にでた。
彼、夕方、現れる。せっせと、その前にお掃除。
お悩み相談、子育ての話などしてました。
自分が、大人子供のところがあるんで、彼の5歳の娘っ子が、やたら恐竜に興味あるとか。
「私もやった。恐竜図鑑、ウルトラシリーズの怪獣図鑑を本が壊れるほど、見ていたわ・・」
彼のお悩みを聞いていたら、なんて答えていいのやら、思い切って、グリーフワークをしたことを話した。なんでも、書き出すと、いいよとかで、こんだけ書いたわと、10冊ぐらいそのノート束をを見せたら・・・。沈黙。
最後、「うちの姉貴は、電話でも話された通りかなり前向きなの。金曜日は、切り絵、土曜日は、水彩画、で、時には、88の婆さんをほっといて、山歩きに出かけとるん、で、それでもなお足りず、体幹を鍛えらないかん、とかで、時間があれば、ジムに通っている、そういう女なの」。また、沈黙。
「でまあ、イノシシみたいやな、猪突猛進って、いうやんか。で、「あねき」でしょ、「イノシシ」と組み合わせて、「イノキ」って、内緒で、呼んでおるわ。」
彼、爆笑。
「猪木コール覚えとる?」
「(頭の中は、ちゃ〜んチャチャ〜ん♬)」
彼、「猪木、(手拍子)、猪木(手拍子)、猪木(手拍子)・・」私も、揃って。
それで、彼、段々と笑顔になって、その調子で送り出した。「僕、そういうのが欲しかったんだ・・」と。
けどまあ、彼が去って、後々考えてみると、奥さんのせいでもなく、彼自身にも問題があるようで、まあ、奥さんは、その彼の行動を見ての「写し鏡」だと思えばいいのであったと。とどのところ、彼自身が変わらなければ、奥さん、周りも変わらないってこと。(イノキの教え。)
そして自分の時の、失敗談をふと考えた。男ってものは、いつも自分が正義で、不安な時は、いつも自分の仲間に自分の正当性を求める。もしかして、また、その繰り返し?いかん、いかん、負の連鎖は断ち切らないと。奥様は、女性で、おらの仲間だ、敵は、「男」だ!!
そしたら、「トットひとり」のワーズワースの詩が気になって、ああそう言えば、積読の中に、ワーズワース の詩集があったなあと、開いて読んでみた。
あらら、あの「トットひとり」の出どころの文句は、ほんの一部に過ぎなかった。
神の暗示か。「よく調べろ!!」って。
「子どもこそおとなの父」。これだったのだ。
「わがままは男の罪、それを許さないのは女の罪・・」
(虹とスニーカーの頃、財津和夫作詞)
急に、そんな歌詞が浮かんだ。
(了)