「病むことについて」ヴァージニア・ウルフ著。うつしがきしながら、最近のコロナと、自分の病いを考えてみた(難しくて感想が走馬灯のように消えてしまうから)
ウルフは、私のライフワークになってしまった。完全理解には程遠いので、自分の偏見に満ちた、満足度で、まあこんなもんだろうと、いつも読了している。
ウルフの時代は、訳者は、「インフルエンザ」としているが、あの時代は、スペイン風邪でありました。それが全てではありませんが、第一次世界大戦が終結に至る一因でもあったと、思われます。
気になった語録で、写していきます。
・・インフルエンザにちょっとかかっただけで、なんという魂の荒涼たる広がりと砂漠が目に映るか、熱が少し上がると、なんという絶壁や色鮮やかな花々の点在する芝地が見えてくるか、病気にかかると、私たちの内部でなんと古びた、がんこな樫の木々が根こそぎになるか、歯医者で歯を一本抜かれ、ひじ掛け椅子に座ったまま浮かび上がり、「口をゆすいで下さいーーゆすいで」という医者の言葉を、天国の床から身をかがめて迎えてくれる神の歓迎の言葉と取り違えるとき、いかに私たちが死の淵に沈み、頭上にかぶさる水で息絶える思いをし、麻酔から覚めて天使やハープ奏者たち面前にいるとばかり思い込んでいるかーー・・・
熱の襲撃やうつ病の進行と戦う寝室の孤独の中で、肉体がその奴隷である精神と交えた戦闘は、無視されるのだ。その理由はすぐわかる。こうしたものと正面から向かい合うのは、ライオン使いの勇気、強固たる哲学、大地の内裏に根付いた理性を必要とするだろう。・・・
(医学的な知識とか、色々だと思う。)
(人間なんて、所詮勝者の歴史しか残していない。)
(当事者が書くとなると、男性でない限り、その下を生きる女性は、スティグマで、苦しめられ、自分の首を自分で〆ることになるから、・・強くないと、書けない問題だ。コロナの場合は、警察官、自衛官、お国のために働いている人たちは、ニュースになったが、大衆は、それは仕方がないだろうなあと。それ以外は、伏せられていたような。職業柄で、鎧の役目を果たして、ああ、こういう人だったら許せる!!とか。)
・・頭痛に苦しむ人間に、その痛みがどういうものか、医者に向かって述べさせてみなさい。すると、言葉はたちどころ枯渇してしまう。彼に役立つ出来合いの言葉はないのだ。自分で言葉を作り出さねばならない。そこで、頭痛と一方の手に持ち、ひとかたまりの純粋な音をもう一方の手に持って、双方を強く押し付けると、真新しい言葉がしまいに転がり出てくるのだ。・・・
(確かに、鬱のひどい時に、前頭葉がまるっきり働かないから、病状を聞かれても、泣く、頭が痛い、眠れない、後頭部が痛い、体がだるい、それよりも、最初は、その原因となった、イベントをグタグタ話し始める。医者は、そんなことなど求めてやしないのだ。)
・・情熱の新しいヒエラルキーなのだ。104度の熱の方を選んで、愛は王座から退けられねばならない。嫉妬は坐骨神経痛の激痛に席を譲らねばならない。不眠が悪役を演じねばならず、甘い味のついた白い液体ーーー蛾そっくりの眼と羽毛で覆われた肢をもつ、あの強大なプリンス、つまりクロラールとも呼ばれる鎮静剤ーーが、主人公にならねばならないのだ。
(この嫉妬は、坐骨神経痛の激痛に席を譲らねばならない。は、これは、老いていく自分自身、ぎっくり腰になった時のことを思い出して、クスッだった。もう体裁など構ってられないわけであって。でも、そこには、そこはかとなく、人間味が出てやしないだろうか。クロラールは、確か、マイケル・ジャクソンを思い出す。
わたしの場合、ヤバイ薬として、リスペリドン。あまり使いたくないのが正直な気持ち。私にとっては、プリンスどころか、また、牢獄もどりかのような思いで、服用せざるを得ない時には、使う。ここで、敗北感の塊に陥る。怒り、精神不安定が治らないときは、眠剤は偉大なる神であった。が、依存性があるので、最初は、心が苦しみ出したら、時を選ばず、眠剤に手を出していた。まあ、今もそうであるけど、以前と比べたら、1日一回、飲んだら、それ以上使ったら、在庫がなくなってしまうという、過去経験により、夜は眠れなくても、横になったままで過ごすことも。)
「インフルエンザにかかって寝ています」ーーこの言葉があの大きな経験のどれだけを伝えるだろう。世界が姿を変えてしまったことを、仕事道具が遠ざかり、祝祭のざわめきが、遠い野原の向こうから聞こえてくる回転木馬のようにロマンティックになることを。友人たちが、不思議な美しさを帯びたり、ひき蛙の角張った体つきに変形したりして、変わってしまったことを。他方、人生の全風景が、はるか海上を行く船から眺めた陸地のように、遠く美しく横たわることを。そして、病人は今山頂に立ち、人の助けも神の助けも全く必要としないかと思えば、こんどは床に仰向けに寝て女中に蹴飛ばされるのに甘んじていることをーーこの経験は人に伝えられないし、こうした言葉にならないものが常にそうであるように、病人自身の苦しみは、友人たちの心に、彼らがかかったインフルエンザ、彼らが味わった痛みや苦しみを思い出させるだけなのだ。そうした痛みや苦しみは、昨年の2月には悲しんでもらえず、いま同情という神聖なる慰めを求めて、声高く、必死に、騒々しく、わめきたてるのだ。
(恥ずかしくて、伝えられないし、ベッドに、拘束されたこととか、夫にさえ、その辱めは、笑い話で、「まるで、クワイエットルームへようこそ」の世界だとか、笑って、人に話すし、当事者の気持ちなんて、全く理解してもらえなかった。これは、自分の入院経験。
大事なのは、コロナの話に戻さないと。本当に、インフルエンザ=コロナの世界観が表されている表現だと思った。「昨年の2月には悲しんでもらえず、」とは、まさしく、そうであって。まるで、罹患したものが全て悪いみたいで、あの人に隙があったからとか、コロナ警察、マスク警察、過剰に反応していた時期もあった。
そして、次々に罹患者が増えると、「あんたもか!」と。もう、普通になってしまった。罹患者数をチェックしていたが、その真っ赤かかな日本列島の地図すら、消えてしまった。定点観測、各地域の医師会などでは、サーベイランスという報告書が定期的に作られ、チェックされているようだが。
でも、罹患して、隔離入院した人は、その頃のことをもう思い出したくないし、積極的に話す話題でもないようだ。どちらかと言えば、隠したいのが山々である。)
しかし、私たちは同情を得る事はできない。この上なく賢い運命の女神が、できないと言っている。もし彼女の子供たちが、すでに悲しみを背負っているけれども、他人の苦痛を思いやって自分たち自身の苦痛にそれをくわえ、同情という重荷をも背負わねばならないなら、建物は建たなくなるだろう、道路は消え失せて草ぼうぼうの小道になるだろう。音楽や絵画はもう生み出されなくなるだろう。大きなため息が一つ天に向かって立ち昇るだけで、人々は恐怖と絶望の態度を示すことしかできないだろう。しかし実情は、何かちょっとした気晴らしがつねに在るものだーー
(三密、マスク、手洗い、外出自粛、とは、言っても、エッセンシャルワーカーの皆様には、今でも頭が下がる思い。そして医療。新しいワクチン開発。ただ、同情だけでは済まされない、人間とパンデミックの戦いがあった。
学校、病院、お店、銀行、警察、官公庁、流通機関が動いてないと、生活が滞ってしまう。孤独、人々のイライラ、焦燥感が、世の中を変えてしまった。
職場復帰できる人、できなかった人、経済的な貧困。あったお店がなくなってしまったり。
今は、やたら、新築マンションばかり立ちはじめた。
中には、自粛中に、作品をしたためる人も。
自分も、あまり思い出したくないなあと。)
(この上なく賢い女神とは、「それでも生きる」という意味なのだろうか。)
同情は今日、主として、のろまや落伍者たち、だいたいは女性たち(彼女たちには、とても奇妙なことに、時代遅れのものが無秩序や新しさと同居しているのだ)によって施される。彼らは、競争から脱落してしまったので、突飛で利益にならない脱線に費やす時間があるのだ。例えば、・・事実にも則しているし想像的でもある筆致で、子ども部屋の炉格子、パンの一塊、ランプ・・・そして、子供用エプロンやいたずらについて、単純な、たわいのない話を作り上げる。
(マスク不足には、手作りマスクも流行った。そして、分け合った。お友達の窮状を聞くと、消毒液を送ってあげたくなってしまった。だけど、運送規定により、アルコールの類は、冗談抜きで、危険を招き、規則をまもるしかなかった。
あべさんマスクの譲り合い。靴下で、マスクを作るとか、色々、情報が回った。
それも、今から考えれば、ほんのいっ時だったような。
あれは、一体なんだったんだろうと。)
(自分の病気に対しては、一生付き纏うことになると、病院から、自助グループからの学びで、知る。ほとんど諦め状態。
同情されても、仕方がないから、自分で勉強し、自己解決していくしかない。
同情されると、あなたと、私とでは、違うのよと。心の中で思っても、口に出さず、聞き流す。
自分が病気にかかったときは、まるで、永遠の無人島送りの島流しにあったようだ。
陸地からは遠く離され、いつもいつも、反省文のようなことを書き連ねて、または、朗唱し、それの繰り返しであった。
再生には、程遠く。)
(ロックダウンになった場合を想定して、今から準備したいものとかのお話動画が流されたり。家の中に、ネギの根っこで水耕栽培で育てるとか、家庭菜園をベランダで、やりはじめたとか・・。やたら、そんな写真が飛び交った。で、今は、一体どうして見えるんだろう?家庭菜園は?ベランダは?私も、野暮な人間だ。)
病気には、正直言わせていただくと(病気は偉大なる告解室なのだ)、子どもっぽい率直さがともなう。健康なときには用心深く世間体を考えて隠すようなことを口にし、ほんとうのことをうっかり言ってしまう。
(今の自分は、鬱の入り口に立っている。だから、些細なことで、気になったり、変な幻想を抱いてしまう。noteの皆さんもお気づきかなあと思うが。
懺悔室そのものの、入院生活。嘘をいうと、首元に赤い発疹ができてしまう。医者は心配して、くれてはいたが。
心の整理には、よかった。人間って、愚かだなあと思う。
私は、このとき、脳味噌を真っ二つに斬られて、血が滲み出るような苦しみをいまだに忘れられない。あの苦しみは、一生ついてまわっている。)
人間は、長々とつづく道を手に手を取って歩き通すのではない。一人一人の道には原生林が、鳥の足跡さえも見られない雪の広野が横たわっているのだ。ここを私たちは一人で歩み、だから、こそその道がより好きなのだ。つねに同情され、つねに同伴され、つねに理解されたら耐えがたいだろう。
しかし、健康なときには、親切なふりをしなければならないし、努力ーー伝達し、文明化し、分かち合い、砂漠を耕し、原住民を教育し、昼間はともに働き、夜にはともに遊ぶ努力ーーはくり返されねばならないのだ。病気になると、こうしたふりは止む。
・・私たちは、正義の人びとから成る軍隊の兵たることを止める。脱走兵になるのだ。正義の人々は戦いにのぞむべく行進する。私たちは木片れとともに流れの上を漂う。枯れ葉とともに芝生の上をあたふたと漂う。無責任で、無関心で、ここ何年来おそらく初めて、あたりを見回し、見上げーーたとえば、空を見つめることができる。
性急さも病気の特徴の一つであるーー私たちは無法者なのだーー・・・
(パソコンのバージョンが古いから、無理に動かしているので、動きも当然悪いし、立ち上がりも何もかものろい。病気の時は、それを忘れてしまい、イライラとする。)
(あとは、理解できないから、何回も短い章でも、何度も何度も読み直す。)
(最後は、「二人の貴族夫人の生涯の物語」のことが描かれている。)
ただ、印象に残るのは、ウォーターフォード卿が終日狩りに出かけるので、しばしばひとりぼっちだった。しかし、彼女(夫人)は任務に忠実で、貧しい人びとを訪れ、慰めの言葉をかけ、スケッチ画を描きまくった。・・私はただのスケッチ屋ですわ、と言った。・・やっと夫の卿が狩りから戻ってくる。すると、しばしば真夜中のことだったが、彼女はランプのもとでスケッチブックを手に夫の横に座って、スープ皿の中に半ば隠れた夫の騎士らしい顔をスケッチするのだった。卿はまた、十字軍戦士として堂々と、馬に乗って狐狩りに出かけた。彼女はいつも手を振って夫を送り出したが、もしこれが最後だったら、どうしよう、とそのたびに考えるのだった。そして、あの冬の朝、最後になったのである。馬がつまずき、卿は死んだのだ。それが告げられる前に彼女には分かった。・・葬儀の日、階下に駆け下りていったとき、柩が出ていくのを立って見送っている夫人の美しさを。また、彼が戻ってきたとき、カーテンが、もだえ苦しむ夫人の手で掴まれて、しわくちゃになっていたこともけっして忘れないだろう。
(この光景が、何か夫の事故の時のことの、ほんの一場面を思い出してしまい、切ない。これがずっと、続いてしまい、引きこもる羽目になってしまった。その前にもうすでに心は病んでいて。
それと、コロナ初期の頃、岡江久美子さんの死に、ご遺体とも面会できず、ただ遺骨となって、ご自宅に返された時のご家族のやるせなさを、思い出してしまう。)
(コロナは、家族間も距離をとり、夫婦間も別室で、就寝。おまけに、未婚の女性を増やした。)
(考えすぎなのだろうか・・・)
(これは、症状として、壁のシミが偉大なる画家の絵のように見えたり、これを描いたら傑作ができるんではないかとか、そういったものの類じゃないかなあとすら思う。くだらない文の一節が突然輝いて見えたり、あの時の情景が似ているとかで、心のシャッターを押した瞬間のようでもある。)
まあ、はっきり言えるのは、「歯」は、大事である。歯だけでも、大事にしていたら、きっとよくなるように思う。