友人への羨ましい気持ちを自覚した話
「いいね」と「いいな」は違う。
「いいね」には、ポジティブな気持ちがのせられてる。素敵だな、好きだな、そうした感情が「いいね」だ。
一方で、「いいな」には羨ましいという感情がのる。私もほしい、私もやりたい。
私はあまり人のことを羨んだりしない人間だと思っていたけれど、先日友人と会った時に、「いいな」と羨望の感情を抱いたのを自覚した。
友人と銀座でランチをした後、お茶しようということで日本橋のマンダリンオリエンタルホテルに入った。
入りたかった38階のオリエンタルラウンジはアフタヌーンティーの予約客でいっぱい。諦めて37階のバーで一休みすることにした。
頼んだのはアイスカフェラテ。1杯2000円。スタバならトールサイズのカフェラテが4杯飲める値段だ。
高いとは思うが、友達と優雅な空間でゆっくり話すためであれば惜しくないギリギリのラインだと思う。カフェラテは美味しいし、涼しいし(これは7月下旬頃の東京の話。その日は猛暑だった。)、私は満足していた。
すると友達が、
「ここ本当に素敵だよね。今度ここで仕事しようかなぁ」
と言う。
私はその時、明確に、その発言に対して「いいな」と思った。
マンダリンオリエンタルホテルのラウンジで、1杯2000円のカフェラテを飲みながら仕事する。
羨ましい。
そうした選択肢があることが羨ましい。
彼女が続ける。
「たまにここで仕事してる人をSNSで見るんだよね。ここだったらはかどりそうだなぁ。私も通っちゃおうかな。」
たまに友達とお茶するのとはわけが違う。彼女が話す「ここで仕事をする」とは、数ヶ月に1回2回訪れることではなく、週に1〜2回ほどここに通って仕事をするということだ。
私にはその選択肢はない。あえて選ばないのではなく、やりたくてもできない。私にはそんな金銭的な余裕はない。
自分にはできないからこそ、「いいな」という羨望の気持ちが生まれた。
なんてことないことだけど、その時に改めて自分が何に対して価値を感じる人間なのか、自分が何を求める人間なのかが分かった気がした。
「いいな」と思うものは、自分がほしいものだ。
「いいね」と思うものはたくさんある。友達が可愛い高級バッグを買った、彼氏とオーストラリアを旅行した、新しい車を買った etc…
幸せそうな友達を見て、「いいね!」と思うことはたくさんある。 インスタグラムの写真だって、「いいね」って思うからいいねボタンを押している。
でも、「いいな」と思うものは案外少なかったりする。
もう一度言うけど、「いいな」と思うものは本当に自分が欲しいものだ。そして今の段階で手に入らないことがわかっているものでもある。
良いと思って手に入れられるものなら、「いいね」。
「いいね。私もやろうかな。」になる。
やろうと思えばできる、買おうと思えば買える。
でも「いいな」は今の段階で実現不可能なことがほとんどだ。
私は、自分が心地よいと感じる場所で仕事をしたり、読書をしたり、好きな事をすることが羨ましい。空間に惜しみなくお金をかけられることが羨ましい。
今まで自分が何に価値を感じる人間かなんて考えたことなかったけれど、この時自分が「いいな」と感じたことを紐解いていくと、なんだか自分がほしいものが見えてきた気がした。
「羨ましい」という感情はネガティブに捉えられやすい。しかし、考え方を変えればそれが自分の目標になるし原動力にもなる。というか私のように毎日ぼんやり生きている人間にとっては、そうした体験が自分の価値観の見直しにもなる。
私もいつか2000円のカフェラテを飲みながら、高級ホテルのラウンジで本を読めるような人間になれるんだろうか。そんな未来が実現する気はしなけれど、それを意識すると頑張ろうという気持ちにもなってくる。
あと何十年かかるかわからないけれど、自分の好きな空間で好きなことができる未来のために、今日も頑張ろうと思ったって話。
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