
きさ子 きさ子 きさ子 りか子 きさ子 りか子 りか子 きさ子 りか子 りか子 りか子 りか子 りか子 りか子
三日間 女と一緒にいると
「ひとり」になりたくなる男 と
三日間 男と一緒にいると
「一生一緒にいたいと思うように」なる🤣女
男は飛びたがる。
男は離れたがる。
男は軽さなのだ
川端康成「青い海 黒い海」
熱病で意識を失って
死にかかっていた僕は
うわ言を言い続けていたそうです。
「きさ子」
「きさ子」
「きさ子」
「りか子」
「きさ子」
「りか子」
「りか子」
「きさ子」
一命を取り止めたい一心で
りか子の居場所を知っていた伯母が
りか子を呼んでくれた
ところ
「りか子」
「りか子 りか子」
「りか子 りか子 りか子」
私は「りか子の名ばかり呼んだそうです」
(川端康成「青い海 黒い海」)
「奇跡ではないでしょうか」
川端先生
これは奇跡ではありません。
これを「男」というのです。
接吻を重ねれば重ねる程
男は軽くなる。
女は逆に
接吻を重ねれば重ねる程重くなる
そして
女が重くなると
男は軽くなり
女と離れたくなる
そして
「三日間離れていると
女はその男を忘れてしまう」
(女※果てしなき夢in愛のパンセ)
私たちは探し合う…
そして私たちは探しあてる
自らを見失った時に── (kiss in 愛について)
女について論理的になることの馬鹿々々しさ…
女について書くなどということは、医学的に書くのを除いて、本当の男には出来ぬことなのだ
ましてや
女との未来を逆行的に🔚「観念」するなんて
三島由紀夫さまによる計画は無謀💦
三島由紀夫 「雨のなかの噴水」
女に
自分から「別れ」を一度告げてみたい
それだけのために
女と出逢い 交渉を持ち
その「瞬間」だけのために
女とわざわざ 付き合い 時を育む
その
「観念」 に
痰は絡み その無意味性を堰き止めようとする
も
かろうじて公言された「別れ」に 女は
「どこへ行くの?」
「そんなことは、俺の勝手だ。さっき、別れようと言っただろ」
。。。。。。。。????
相合傘の柄をけなげに握り締めている女
????????????
絶句😨
男と別れてもいい女しか
男の喧嘩相手になってくれない
ことを
三島は知らなかったのか
「女は、」
「とこう
書いただけで、私はもう絶句してしまう」
と谷川 (in「女※果てしなき夢」)
よくもそんな恐ろしいことが🙇
ニーチェは
「この人(猛獣)を見よ!」と
わたしは女というものが何かをよく知っていると
あえて仮説的に主張してよいだろうか? ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣…ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。
谷川はその猛獣探しに
動物園へと
我々をいざなう🐵🦁🐍
「例えば、動物園へ行ってみようか。」
女は、のあとに続く動物を探してみよう。例一、女は手長猿だ。なかなか直截な言い方だ。例二、女は狐である。真理だが、少々言い古された感がある。例三、女は虎だ。簡にして要を得ている。特に夜間の場合など。例四、女はガラガラ蛇だ。鋭い暗喩である。核心をついている。例五、女は白鳥である。やや感傷的だが、ある場合には正しい。例六、……等々。かくの如く、いかなる動物をもってきても、ふさわしいのだ。そうして同時に、いかなる動物をもってきても、それで言いつくせているということはない。
そしてボーヴォワールに怒られついでにいうと
「女と大地、これ程似通ったものはない。男にとっては時にはそれらは殆ど同じひとつのものだ。女は横たわり、そして受け入れる。女は待ち、雨に降られ、種を蒔かれ、そうして育てるのだ。女は重さだ。女は空には憧れぬものなのだ。天使は男である。
男なしに女は女たれず
女なしに男は男でもない
女は「重力」
男は 浮力
(女※果てしなき夢in愛のパンセ)
女は大地の母
浮力を繋ぎ止める重力=引力というものが 女
手を離してしまっては勿論いけないし、あんまり低いところで押さえておくのもいけない。
なのだが
「愛するより愛されたい」女性は
(フロイト「ナルシシズム入門」)
「三日間離れていると
女はその男を忘れてしまう」
(女※果てしなき夢in愛のパンセ) つまり💡
谷川の結論
男が
「女の重さに耐えることだ」
(女※果てしなき夢in愛のパンセ)
おれ地面掘るよ…
おれに土かけてくれよお
草も葉っぱも虫もいっしょくたによお
でもこれじゃまるで死んだみたいだなあ
笑っちゃうよ
おれ死にてえのかなあ
いけない😣
視界が谷崎潤一郎氏の
土の中
予の魂も何処かしらに生きていて、彼女の全身の重みを感じ、痛さを感じ、足の裏の肌理のつるつるした滑らかさを感じる。死んでも予は感じて見せる。感じないはずがない。同様に颯子も、地下で喜んで重みに堪えている予の魂の存在を感じる。あるいは土中で骨と骨とがかたかたと鳴り、絡み合い、笑い合い、謡い合い、軋み合う音さえも聞く。何も彼女が実際に石を蹈んでいる時とは限らない。自分の足をモデルにした仏足石の存在を考えただけで、その石の下の骨が泣くのを聞く。泣きながら予は「痛い、痛い」と叫び、「痛いけれど楽しい、この上なく楽しい、生きていた時より遥かに楽しい」と叫び、「もっと蹈んでくれ、もっと蹈んでくれ」と叫ぶ。
はぁ〜😥
まさしく 女とは
「果てしなき夢」🥺
であり
「死」=「大地」 (谷川俊太郎「女※果てしなき夢」)
「僕は一人の男子として生きているよりも、
お富美さんの踵に蹈まれる畳になりたい」
ー谷崎潤一郎「冨美子の足」
男と女
永遠♾️に到達しない永遠♾️
だから 夢😴なんでせう
もう どうしよう😨もない無意味を
徒然に書くことの無意味性に
笑けてきた
だって
きさ子 きさ子 きさ子 りか子 きさ子 りか子りか子 きさ子 この段階で
女は既にこの男を見限り「不在」なのだから
始まりは終わりで 終わりは始まり🔚
果てしなき夢💤
https://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/print.aspx?id=20150223000606