読後感想『料理と利他』土井善晴・中島岳志著
いつも楽しく拝読している鳥越さんのnoteで『料理と利他』を見つけました。
長野県佐久で本屋さんをしている鳥越さん、セレクトが結構好みで、つい何かしら買ってしまいます。今回は、もう一冊紹介されていた『手づくりのアジール』とかなり迷いましたが、結局こっちにしました(笑)。
土井善晴さんはなんとなくいいな、と思っていましたが、実はテレビでも見たことはないし、直接お話を聞く機会もありませんでした(うちは長女が生まれて以来、22年間テレビなし生活です)。
加えて対談を本にするという企画に興味があって、買ってみようと思った次第。
自然を感じる料理、人と自然の間にある料理
読んでみたら思っていた8倍は面白かった!
土井善晴さんにすっかり共感してしまいました。
「味噌汁は出汁取らなくていい。茹で汁に味噌溶いたら味噌汁になる」
そもそも、自然の中にすでに美味しさがある。そこを整えていくことが料理。味噌も、もともと美味しいものなんだから、出汁なんかいらないし、味噌汁はだから薄くても濃くても冷たくても美味しいものなんだ、と。
今まで、野菜を湯掻いた茹で汁を、こっそり味噌汁の出汁とかにして再利用してたけど、堂々としててええんですね〜、と安心しました(笑)。
また、「レシピはもともと日本にはなかった」ものだそうです。
西洋の料理は「クリエイション」であって、人間が芸術として料理をクリエイトする、という感覚があるんだそう。
だからフランス料理なんかも、味見を細かくするんだとか。
それに対して日本料理は、まずは旬の素材があって、それをどう生かせば食べる人の身体が元気になるようなものを作れるかが肝。素材に呼ばれて、その場その時に必要な料理になっていくという感覚に近いのかなと。
「自分というものをなくすところに日本文化がある」と土井さんはおっしゃっています。民藝運動なんかも、まさにそうですよね。
能動的に人が作るというより、そういうものに成っていくという、受け身の料理。おいしいくできるかどうかはわからないけれど、常に素材と対話する。
素材の声とか様子、例えば芋を炊く時に、「お芋が気持ちよさそうにしているなぁ」とかいうのを感じながら料理をする。
だから料理は、人と自然を繋ぐものであり、人と人とを繋ぐものでもある。
これは「一期一会」のお茶の世界にも通じるなと思いました。
人となりを見て判断する
中島さんのおばあちゃんのお話で、こんなのもありました。
吉野作造が普通選挙を導入して誰もが選挙に行けるようにといったら、批判が出た。無学の農民は、政策判断などできないだろうと。
吉野曰く「そりゃできません。でも辻説法三分見てたらどんな政治するか判るでしょ」と。
今まであまり大きな声で言えなかったんですが、実は私も選挙は人相で決める派。なのでめっちゃ共感しました。
以前「あなたは、今の政治をどう思う?」と聞かれて困ったことがあって。
割とリベラル派な方だったので、下手なことを言えば怒られるな、と思ったんですが、そこは正直者のワタクシ、つい本音を申してしまいました(苦笑)。
「政治のことはいまいちよくわかりません。だって候補者の公約も、どれも似通っていて、違いがわかりませんし。なので、最後は人相。きちんとした政治ができる人かどうか、人格がちゃんとしているかどうかを、人相とか話し振りとかで見て決めます」と。
質問された方は絶句されていました。(まぁ、そうでしょうね)
でもこれって、例えば採用面接なんかでも、同じだと思うんです。
志望動機や入社後のやりたいことなどを人事の人は聞くし、就活しているひとはいっしょうけんめい答えますよね。でも、人事の人は、その内容をじっと聞いて採用するか否かを判断するのではなく、そういった質問を投げたときの受け答えや態度を見ているのではないでしょうか。
目に見える、説明できるスキルなどよりも、目に見えないその人の本質が、自然と現れる。それが最も雄弁に人となりを語っているということかと思います。
利他と自己犠牲の違い
『料理と利他』の中には、鉢などの高台が「利他的だ」という話が出てきます。高台は縁の下の力持ちだと。
その話から、昔、公園なんかのゴミ箱に書いてあった漢字を思い出しました。
「護美箱」って書いてあったんです。
そのことをすっかり忘れていて、数年前、何かの拍子にふと思い出しました。で、震えがくるくらい、めちゃくちゃ感動しました。
そうか、これが利他なんだなと。
日本人はこういった価値観を「美しいもの」として、長らく大切に生きてきたんだと思います。
それは、自分がみんなのために我慢すればいいといった、自己犠牲とも違う。
利他の場合は、それをやっている人自身、その行為や存在が喜ばれることをが心地いい、もしくは自分でも楽しんでいるのではないかと思います。
利己よりも、利他である方が、相手も喜ぶし、自分も楽しい。
高台や護美箱のように、自分がそこで一番目立つわけではないけれど、相手のことを思って、自分はあくまでも縁の下の力持ちとして行動する。
すると、他者にも自分にもいいことが起こるし、その景色自体が美しく、何か場が清められたようになる。
それこそ、人と人の間に料理があるように、そこが愛情で結ばれているような気がします。
おわりに
コロナで人の繋がりが失われたり、分断されたりという側面も多く見受けられた2021年でしたが、大晦日になってこんな記事を書かせていただけるのも何かの縁。
来年は利他を大切にしていきたいですし、自然に呼ばれ、それを食卓に持ち込むつもりで、力を抜いて料理も楽しんでみたいと思います。
皆様、それぞれによいお年をお迎えください。
来年もどうかよろしくお願いいたします。