ランドセルの思い出
時々、もう遠く過ぎ去った昔のことを思い出して、無性にそのことについて綴りたくなることがある。
今ふと何の脈絡もなく思い出したのは、私が6年間使ったランドセルのこと。
ランドセルなんて、もうたいていの大人にとってはそれほど深い意味や思い出も残っていないだろうけど、いまだしつこく覚えているということは、私にとって少し心に影を落とす思い出になっているんだろうな、と思う。
ランドセルの話に入る前に、私は良くも悪くも、目立つというか、特別扱いが必要な子供だった。別に目立ちたがり屋だったとかそういうことではなく、単にものすごく体が大きかったこと、そしてそれなのにすごい病弱だったのである。
幼稚園時代の写真を今みると自分でもびっくりする。私は周りの子供より頭ひとつ抜けるほど大きくて、ということは周りより軽く20センチは背が高かったということ。だからやたら大きくて目立っていた。
そして病気については、ひどい喘息持ちで、ちょっと走ろうものならすぐ呼吸困難に陥っていたために、外で駆け回るタイプの遊びが本当に苦手だった。マラソン大会なんて参加しようものなら、その後病院で気管支拡張剤の点滴を受けていたほど。
だからいろんな場面で意図せずに目立っていたり、特別扱いを受けたりしなければならないことが多くて、小さい頃は「みんなと同じがいい」と望んでいた。
そして小学校に上がる前。ランドセルを買うことになり、両親と一緒にデパートのランドセル売り場に出かけた日のこと。
就学前の子供のことだし、当時は女子は赤で男子は黒のランドセルと相場が決まっていたわけだから、私も当然赤いランドセルを背負うことになるのだろう、と思っていた。売り場にはいろいろなモデルが並んでいて、どれも新しくてツルツルしていて、これを背負って学校に通うのかと思うとなんだか誇らしくて嬉しい気持ち。
そこで両親が目に留めたランドセルがあった。
それは、綺麗なワインレッドのランドセル。ただし、ツルツルのコーティングはしておらず、革製品として見たら高級品かもしれないけれど、使うほどくたっとしてきたり、傷や色あせもその製品の味として、いい意味で言えば楽しめる、そんなランドセルだった。
両親はすでにそのランドセルの色味や革の風合いなどに関して、お店の販売員とものすごく盛り上がっていて、もうほぼ購入を決めているような雰囲気。
「見て、すごく素敵な色よねえ、どう思う?」
「ものすごくいい革だわ」
楽しげに盛り上がっているその場で、私はついに言うことができなかった。普通の赤のランドセルがいいと・・・
結局6年間そのランドセルを背負って小学校に通ったけれど、そのランドセルを好きだと思ったことはただの一度もない。
5年生の2学期に転校した時には、そのランドセルを背負って新しい学校に行かなければいけないのが本当に嫌だった。5年使ったランドセルのワインレッドは色落ちして皮もくたくたになり、明らかに周りの普通のランドセルと比べてみすぼらしい気がした。恥ずかしかった。
今思えば、そのランドセルのために私の人格が否定されたことはないし、そのランドセルのおかげで被害を被ったこともない。だから周りの子供たちだって「変わったランドセルだな」と一瞬思ったかもしれないけれど、今でも私のランドセルの色を覚えている小学校時代の友人なんてきっとひとりもいないと思う。
それでも私は当時感じたことを、まだ覚えている。(ちなみに今年44歳)
この話にオチはない。でもあえて何か結論づけるなら、自分が盛り上がって周りが見えなくなっている時って、相手が本当は何を望んでいるのか全く汲み取れていないことがあるのかもしれないな、と思う。だからそんな自分を戒めるためにも、この話をたまに思い出すことはいいことかもしれない。
自分のことならともかく、相手のテーマであるなら、やはり一番はその本人が選び、決めていくことだろうと思う。少なくとも私はそういうやり方が好き。だからライフコーチという仕事をしているのだろう。
これから新しくランドセルを購入する方へ。
必ず使う本人の意見、聞いてあげてください。予算などもあるだろうから必ず希望のモデルを買う必要はないけれど、6年間使うものだから、色や見た目の好みは必ず子供の意見を尊重してあげて欲しいな、と思います。
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