「神道は多神教ではない」という簡単な理由――“崇拝”と“崇敬”の違い
よく「神道は多神教である」と誤解されている方がいます。それで、私が「唯一絶対の神」とか言うと「え?それ、神道に反するじゃん!」みたいな、誤解をされる方もいます。
最近、「多神教優位論」と言って「一神教は排他的だが、多神教は寛容」みたいな主張が多くあります。しかし、それをあまり強固に主張すると「一神教は間違っている」という、世界の過半数の人たちが信じる主教を否定してしまう、超排他的な主張になってしまいます。
さて、今回はそんな「多神教優位論」の前提になっている「神道は多神教」なる俗説が実は違う、ということについて説明させていただきます。
そもそも「一神教」と「多神教」の違いは?
さて、まずは「用語の混乱」から整理しておきましょう。「一神教」と「多神教」という時の「神」とは、そもそも「神社の神様」的な意味では、ありません。
もしも「一神教」を「『神社の神様』的存在が、一つしかない宗教」と考えている方がいたら、今は多文化共生の時代ですから、この文章を読むことを機に他宗教への理解を深めていただきたい、と思います。
実は「一神教」も「多神教」も英語からの翻訳です。従って、ここで言う「神」とは「god」のことなのです。
これは宗教学では常識中の常識ですので、最早一々出典を示す必要は無いのですが(疑うならば、近所の大学の教授に聞いて下さい)、一応、英語版wikipediaの内容を出典に挙げますね。
後半の「a pantheon of gods and goddesses」は「神々と女神たちの集まるところ」というニュアンスですが、ここでいう「神」「女神」は「god」とその女性形の「goddess」となっています。これが多神教の定義なのです。
神社の神様は「god」ではない
それでは、神社の神様はこの「god」に該当するでしょうか?
例を挙げて見てみましょう。例えば、八幡さん。これは応神天皇が神格化されたもので、武芸成就や祈願成就のご利益があるとされています。
しかし、それって・・・「god」と言うよりも寧ろ、聖ニコラスが神格化されたもので、クリスマスにはプレゼントを持ってきてくれるサンタクロースに近い存在ではないですか?
また、神社でよく祀られる「水の神様」「山の神様」と言うのは、「god」というよりも「水の妖精」「花の妖精」と言った存在に近いとは思わないでしょうか?
キリスト教では「god」を「主」と訳すこともありますが、まさか、木花咲耶姫(桜の女神)を祀っている神社で「主よ!」等と祈る方は、特殊な新興宗教を除くといないと思います。
「崇拝」と「崇敬」は違う
こうした話を、もう少しだけ専門的に説明させてください。
そもそも「god」は「崇拝」の対象です。では、「崇拝」の意味はどうか。世界で最も権威のある「ブリタニカ国際大百科事典」の「小辞典項目」の内容を、コトバンクから引用させていただきます。
ここでは「崇拝」と「崇敬」とは違うものであり、特に宗教において「崇拝」は「神聖なるものに自己の全的依存」をすることだと記されています。
言うまでもないことですが、通常、日本においては神社の氏子だからと言って「神社の神様に全的依存」なんかは、しません。
さて、もう一つ「精選日本語辞典」の内容も見てみましょう。
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