「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」
自分を取り巻く世界、つまり自分が存在する世界なんて、ホントに狭くてたかが知れている。この地球上だけでも多種多様でメッチャ広くて深〜い世界があるってのに。でも、ホンの小さな活字の羅列の中にその世界に触れる可能性があるってもんだ。
活字の中だけで実際の世界と大きな距離感を保ってるからこそ、経験とは違う、内面だけでの独自の捉え方ができると、俺は思ってる。
だから、俺にとって読書は極私的な行為で、他人に勧めるものでも、教えるものでも、その方法論を語るものでもない。自慢するものではあるけど(笑)。
世界は決してシンプルで単純なものではなく、今やフェイクも含めてあり過ぎるくらいに情報が蔓延してるから、やっぱり読書はやめられないね。
例え、ある情報に全く関連のない本を読んでいたって、その情報の捉え方、受け取り方、行動にまで影響を与えると考えるから。
また、読書は自由であるべき。遅読、速読、熟読、斜め読み、拾い読み、あるいは入手したけどつまらなそうだから読まないでBOOKOFFに売る…とにかくなんでも有り。
よく“読書は人生を豊かにしてくれる”なんていうけど、イタくて恥ずかしくて、よくそんなことを説教ぶっていえるものだって思うね。
…このけっこう分厚い本の内容は読書論、読書法で、あまり参考にはならなかったけど、そういうことを考えさせてくれた。
あ、そうだ。何か問題を抱えて怒りに満ちてたりすると、”本に呼ばれる“ってのは納得。怒りの根っこには「私は正しい」という思い込みが存在し、本がその怒りを観て中和・延期させてくれ、さらに解決策まで示してくれることが少なくないからだ。
怒りは人類共通の悩みで、文明も社会も進化も、あらゆるものを停滞させるからね。
俺には本だけじゃなく映画もそうだけど。
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。