「マンガで読むジェンダー入門」

ずっと好きだった子が、性的マイノリティ、レズビアンだと知った時の衝撃と絶望は…。

ということで、九州男児として育ち、男らしさを求める、バリバリの昭和的価値観の束縛から、なかなか自由になれない俺ではあるが、ジェンダーということを考えてみた。

人間は本来、出生時の肉体的性別はあっても、高度に進化した存在であるから、精神的には玉石混交で、区別などなかったのではないか。

で、社会を作り、生存のために、役割分担をして、完全な性差が生まれたのかもしれない。

とにかく、LGBTQ、様々な性に対するアプローチが存在することが表面化して来ている昨今、男らしさ、女らしさの二元論だけに無理矢理押し込めようとしても、全く自然ではないことはよくわかる。

ただ、一部のフェミニズムのように自然ではないイデオロギーによって、ジェンダーからの解放を勧められても、必ず破綻してしまうものであると考える。かつての共産主義のように。

極端なジェンダーからの自由と解放が進むと、逆に、無意識にでもジェンダーにこだわろうとしてしまうのが人間なのである。

どんなに理論構築しようとも、結局、自分の性を決めるのは肉体的欲望、つまり性欲なのだ。自分が誰を求めるのか、それは時代と共に変わっていくものかもしれないが、決定権はあくまで自分にあるのだ。それこそ、社会や常識、道徳、生産的であるかなどの通念に左右されるものでは決してないと思う。

で、俺はやっぱり女性が好きだ。アソコが勃つのも女性だ。もしかしたら押し付けられたジェンダーであったとしてもだ。

てか…元々、人間の性は社会的なものぢゃないのかい?

ノンバイナリーもトランスジェンダーもシスジェンダーもクィアも、LGBTQも、逆に男らしさや女らしさにこだわってしまう人も、とりあえず雑多なセックスを寛容するだけの話である。


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。