【洋画】「マッドマックス:フュリオサ」

2024年の、ジョージ・ミラー監督の最新作「マッドマックス:フュリオサ(Furiosa: A Mad Max Saga)」(オーストラリア)を鑑賞。

前作の、「怒りのデス・ロード」に登場した女戦士フュリオサの成長譚で、スピンオフ映画だな。

しかしながら、マシンと暴力の“低予算B級映画”だった「マッドマックス」もここまで発展・進化したのか…。

長くて、やり過ぎで凝り過ぎの感がしないでもないが、メインが、単純明快な暴力の英雄男から、女神を感じさせる女性に変わり、時代に合わせてフェミニン的な展開となったのは、俺的にはちと残念だが、まだ根底にマシンとスピード、マッチョへのフェチが残っているので安心する。「私を覚えているか!」と、リベンジ譚であるのは変わらずだが。

スピンオフだから本流ではないが、「マッドマックス2」「サンダードーム」の“超発展形”といえるかもしれない。ヒューマンガスやウェズに似てるマッチョキャラも登場するし、ウォータンクでの争いなど、2にクリソツなシーンも多々。リアルよりもCGが多いのは残念だが。少し「マッドマックス」回帰となったように思う。

「昔も今も戦争とは世の常なのだ」

生き残りをかけて命懸けで争い、土地を探して開拓し、独裁者が支配するという原始の世界。チラッとマックスが出て来るが、次回作で、新たな土地を目指して、女だけで逃げ出すのだ。

幼い頃のフュリオサは整っててカワイイけど、成長するごとに、細いけど、眼だけが大きくギラギラして、決して笑わない、冷たい女戦士と成長していく。

復讐する暴力警官の話が、核戦争後の、壮大な、人間の原点回帰のような未来の話となって、ジョージ・ミラー監督には、母性回帰願望でもあるんじゃないかと思う。

変わらず野郎どもが支配する世界で、女性が独立して理想郷を目指す。今度は、女性たちが野郎を必要としない、野郎は種だけの世界を作っていくのではないだろうか。野郎がいなくて、闘争の世界は成立するだろうか。ロマン主義のない、絶滅に向けた真の殺し合いが成立するかもしれない。


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TOMOKI
脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。