「萩原朔太郎詩集」
デカダン象徴派詩人・萩原朔太郎は、都会のダンディズムが匂い立つ詩よりも、散文の方が面白いなぁ。
詩は、なんか高尚過ぎて、なんとなくしか理解できないものも多いし。
前にも読んだ、飢えから自分で自分を全部食っちまう「死なない蛸(タコ)」や、住民のほとんどが親類縁者で祖先の霊魂と共に生活している孤立した田舎の集落を書いた「田舎の時計」などなど、散文は朔太郎節が味わえると思うし。
「人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である」
彼は書く。
「詩の表現の目的は、単に情調のための情調を表現することではない。詩の本来の目的は、むしろそれらの者を通じて、人心の内部に顫動するところの感情そのものの本質を凝視し、かつ感情を盛んに流露させることである。詩とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である」。
なるへそ〜。
そういや、ボードレールも言ってたなぁ。「詩の目的は真理や道徳を歌うのではない。詩はただ詩のための表現である」と。
個人的な主観たっぷりの、心の叫びだろうか。詩に変化はあっても、進歩はないと思う。良い意味で。
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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。