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「共通の敵がいる」という理由のもとの団結は麻薬であり、使い方を誤ってはならない的なこと。

やぁどうもこんにちは。とぅもきーです。

■共通の敵がいるということは大きい。

 共通の敵がいる、ということは、手を組むための理由としてこれ以上大きいものはない。創作物でも、よくこういうことは起きうる。
 どんなに普段は向いている方向性が違っても、この旗のもとでは皆がすんなりと同じ方向を向いてしまう。
 歴史的に見れば戦争なんて最たる例だし、全員我が強すぎて個性がバラバラで一生団結しなさそうだったアベンジャーズでさえ団結させてしまった。
 どんな理由を差し置いても、ひとまず団結させてしまうのだ。

■しかし共通の敵を理由にした団結は麻薬である。

 例えば学校で、例えば仕事上で、共通の敵がいるという事態はありがちである。社会の縮図なので頷ける。しかしながら、やはりこの「共通の敵をもととした団結」は麻薬であり、危険な面を孕んでいることは言うまでもない。
 この団結にはとにかく"快感"が伴う。すなわち、もしかしたら自分たちが本当の意味で"悪"サイドであったとしても、快感が邪魔をし、その誤った団結から抜け出すことが出来ないのである。これは例えば"いじめ問題"などに該当する。

■使い方を誤ってはならない。

 共通の敵がいるということの団結は、非常に大きな力があり、結論として慎重に上手く扱う必要がある。
 まず目的やゴールを決して見失わないこと。その目的やゴールに反するものがすなわち"敵"であるはずだ。
 そして常に俯瞰し、客観視できる能力を鍛えることだ。これを心掛けることによって、そもそも目的やゴール自体を客観的に見た時に、身勝手なものになっていないか等、公平な判断を行うことが癖付けられるようになる。
 どんな大きな力もその使い方自体が重要だが、例によってこの「共通の敵がいるということの団結」も使いこなしたいものだ。

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