考えさせるには考えざるを得ない状況にするのも一つの手
皆さん、今日もマネジメントしてますね?
マネジメントする中で課題になる上位のこととして、「部下が主体的に自走してくれない。自分で考えられない」という課題を持ってる方も多いのではないでしょうか。
かくいう私もずっと悩まされていたことではあります。
もちろん、部下の方達も自分なりにめちゃくちゃ考え、悩み、実行はしていますが、どうしても日々の業務に追われて私の考えとズレてしまったり、優先順位が私が考えていることと部下が考えていることが違ってきたりします。
いろんな意味での転機
突然ですが私はいま、福岡の天神という、東京でいうと銀座と原宿と渋谷を全部入れ込んだような、九州の若者たちが集まるトレンディな街の「西通り」という竹下通りのようなオシャレな通りに、5年前(2017年)に福岡支社を立ち上げて、そこから5年間単身赴任生活を続けています。
それまで私は渋谷の東京本社に東急東横線で毎日通い、セルリアンタワーというホテルとオフィスが一体になっている渋谷でも珍しい格式高いビルで業務を行なっていました。(現在も本社はセルリアンタワー)
とある日、当時のトップ営業マン「H君」と客先へ同行訪問した帰り道、JR渋谷駅の西口を出てセルリアンタワーに向かうための歩道橋に差し掛かった時、H君が「そういえば来週、福岡に出張に行くんですよね」という話をしてきました。
内容はほぼ覚えていない他愛もない会話だったものの、営業経験がないのに営業管掌役員だった私は「たまにはそういうのにも付き合って、地方営業の仕方とかも見た方が良いかもなー。福岡行ったことないし」という軽い思いで「一緒に行くわ」と答えたのでした。
H君としても取締役を連れていければ先方の印象も良くなるだろうということで歓迎してくれ、1軒だけで行くのももったいないのでその他にも数件のアポと、福岡でEC事業者さん達が集まって勉強会→懇親会をするような定例イベントにも申し込みをしてくれて実際に福岡出張となりました。
この出張で私が九州開拓が必要だと感じた中身や、H君と共に福岡支社を作ることを決意して福岡の地へ引っ越し、現地の不動産屋さんに「カッコいいモテる地域で賃貸お願いします」と言って紹介してもらった賃貸マンションを借りたものの、一年後に「あーこれ騙されてたんだな」と知ったりするエピソードなどについては、長くなるので次回あたりにnoteに書いていきますが、兎にも角にも私は取締役という身分でありながら福岡支社を作ってH君と共に乗り込み、九州開拓をしていこう!となったのです。
上司がいきなり九州へ。その時部下は?
取締役として事業を管掌し、各部長達と共にサービス拡大に尽力していた私は、一念発起して九州開拓へ行くことになったため、東京本社で一緒にやっていた部長達は面食らったことでしょう。
私としても、「別に離れてたって全然大丈夫でしょ」と思っていましたし、なんなら何かあればすぐ帰るしって思ってました。
元々その時の部長達は、精鋭達を集めていたのでそれなりに自走はしつつ、私のやりたい事も具現化してくれる人たちではあったので安心して任せようと決断できたわけですが、実際に福岡に行って「九州開拓」というドブ板営業的な業務と、「取締役」としての業務、「事業部長」としての業務を一緒にやると、今まで通りに意思疎通をすることが難しいことにも気づきました。
当然、部長達の方は意思疎通が難しいこと、上司である私のレスポンスが遅くなっていること、判断に時間がかかってしまうことなどで甚大なストレスがかかっていたことは想像に難しくありません。
「もう帰ってきてくださいよ」「いつ帰ってくるんですか」という部長達の言葉にも意固地になっていた私は応えず、九州、まずは福岡の地で根を張って、福岡支社長を任せられる人を早く作って戻ろうと躍起になっていました。
部長達の思考の変化
福岡へ来て3ヶ月くらい経った頃でしょうか。
それまで毎週オンラインで1on1をやっていたんですが、部長達の思考の変化が徐々に現れてきました。
・相談事項というより、考えたことの判断を仰ぐようになってきた。
・自分の部門を「自分が見ないといけない」と再確認したように部下との
付き合い方や進め方の思考が「濃く」なってきた。
・新しい施策やサービスを提案してくるようになってきた。
などの変化が目に見えてわかるようになってきたのです。
これは皆がすごく信頼していた人が退職した時に似てるのかなと思います。
「退職するらしい」と噂が広がった時、皆は「あの人を辞めせては絶対にダメ。退職抑制必ずしてください」というようなことを言ってきます。
それでも退職してしまうと、その人の穴を埋めようと配置変更をしたり引き継ぎを行なって新しい人の考え方でまた再構築したりしますよね。
数年後に考えてみると、退職してしまったことは当然残念ではあるけど、そこから新しい考え方や、やり方を模索してきたから今の方が良くなったよね。ということは往往にしてあると思います。
私が無理やり九州へ行ったものの、完全にいなくなったわけではないということで数ヶ月間は今まで通りの考えでいたけど、徐々に「いないもの」として自分で考え出した。というところかなと思います。
そこにいるとなかなか芽生えない感情
業務についてはできるだけ口を出さずに見守る。というのはよく言われることではありますが、やはり上司がそこにいるだけで「安心感」だったり「なんとかしてくれるだろう」という意識が出て、本当の意味で「任せる」というのは任された本人にも芽生えづらいのかもしれない。とこの経験をもって感じることができました。
物理的にほとんどいない状態を作り、既存事業をメンバーが必死に我が事として見れるようになっているその間に、自分は未来への新しいことを行なっていれば、数年後には良い相乗効果が出てきてより大きな高みを一緒に見ることができるようになるのかもしれません。
結局九州開拓については3年間、ほぼ実績という実績がないまま過ぎ去り、3年を経過した頃から案件が入り始めて、その後H君は全国1位の成績が出るなど成果が出てきて5年が経っています。
その間、会社としても大きな組織変更を幾度か繰り返したり、システム系の企業との吸収合併で一気に人数が150人から300人以上へ倍増したりと大きな変化を繰り返して成長していますが、部長達は変化に全くへこたれることなく推進していってくれています。
いきなり他の地に行って好きなことやれる環境にあったのはラッキーだったといえばそれまでですが、一つのやり方としてみてもらえたらなと思います。
まとめると
・部下が主体的に自走してくれないという悩みがあった場合、
「自分しかいない」と部下に思わせる環境を作ってしまうと良い。
・完全にいなくなるわけではなくて基本的に報告だけもらうにし、
上司は思考のプロセスに極力入らないようにすると部下が自分で
考えるようになって主体性を持ち出す。
って感じでしょうか。
次は九州開拓のお話あたりをしていきますね。
ちなみに私は5年経っても博多弁が喋れません。
タクシー乗るとバリバリの博多弁で運転手さんが話しかけてくるので、そこで現地の人のように話せるようになるのが今の夢です。
ではまた!