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新潟のドコモショップ店員から海外MBA入学審査官に

さて、なぜ海外MBA、なぜ欧州、なぜIESEについては既に以下の記事に記載しましたが、今回は、なぜ私がMBA入学審査官になったかを書き連ねてみます。

「財務から自分がもっと好きでもっと強みを発揮できる分野に転じ、一層国際的な仕事をしたい」の解を見つけることを、私費退職の形で海外MBAを志す主目的にしていました。

その中で、その分野について、出願前時点で仮説として、1. 人事・教育系、2. 戦略コンサルティングの2つを念頭に置いていました。

1と2の比較の時系列や考えたことの詳細については、利害関係者を意識して若干省略します。

以下の記事で書いたキャリアのブルーオーシャン戦略を一因として、サマーインターンシップの終わり頃までに戦略コンサルティングは避けようと考え、人事・教育系に落としどころを見出そうとする中で、次の3つの理由で今の仕事に決めました。


MBA入学審査官になることにした3つの理由

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まず、文字通り自分にとって人生を大きく変えるほど真に変容的なものだったIESE(イエセ)のMBAプログラムを、強い意志と覚悟と期待を持って未来に踏み出そうとする方々に提供する仕事は大変魅力的なのではないかと考えました。

次に、プライベートの理由でIESE MBA卒業後はどうしても帰国しなくてはならなかった中、最大限の国際性を伴った仕事をしたいと思いました。

以下の記事でも書きましたが、例えば、新型コロナウィルス前は、年間の30-35%の時間を出張ベースで海外で過ごしており、プライベートとも非常にバランスが取れていましたし、現在も海外出張がなくなった以外は、相当に国際色の強い仕事です。

少なくとも私が色々模索した限りにおいて、教育分野でここまで国際色の強い仕事を見つけることは、容易ではないという印象を持ちました。

最後に、私を含む約10名で構成されるIESE MBAの入学審査委員会(アドミッションコミッティー)は、全員がIESEの卒業生なのです。

そういった個人としてもプロフェッショナルとしても信頼と尊敬のできるIESEの卒業生たちに極力囲まれて仕事ができる環境を選びたいと思いました。

ちなみに、この中には、私の他に2016年卒の同級生が他にこの中には3名(ブラジル人、エルサルバドル人、シンガポール人)おり、彼女たちについては友人としても親しい関係にあります。

もちろんIESE MBA入学前にはMBA入学審査官になることなど微塵も想定していませんでしたが、結果的には元々思い描いていた2つの可能性の1つの人事・教育系にすっぽりはまった形になりました。

キャリアについて一定レベルの仮説を持てさえすれば、あとはえいやで海外MBAに私費で踏み出してみても何とかなる(こともある)ことを示しています。

付随して、普通の転職では絶対に手に入らない仕事、海外MBA(更にはIESE MBA)に来たからこそ手に入る仕事にありつきたいというのもありました。

前職の経歴を踏まえ、MBA向けに採用を行っている会社の求人であっても、一部は普通の転職でも叶えられたであろうものもあったので、この点は慎重に考えました。

他方、外部要素として、以下の幸運があったことを言及しないわけにはいきません。

・元々IESE東京オフィスで働いていた2011年IESE MBA卒の同僚の負担が逼迫していて、IESEのアジアの戦略的重要性に鑑みても、もう1人雇うことが理に適っていた

・そこに海外MBA生としてはやや珍しく人事・教育系に興味が強いうってつけの人材である私がいた

ちなみに、その同僚は、現在、IESEがファイナンシャルタイムズの世界ランキング過去6年連続1位を誇るExecutive Education(企業幹部向け研修)の分野で日本を中心にアジアを幅広く見る仕事にIESE東京オフィスにて従事しており、私のレポートラインでは全くありません。

ただ、両者の間でシナジーを効かせようと意識して活動しています。

更にちなみに、完全に出来レースかと思ったIESE職員としての私の採用プロセスは、幅広な部署の関係者と当時の副学長(現学長)との面接含め6回、5ヶ月弱にわたるものでした。

初期段階で私に対しての懐疑的目線が強かった証でしょうか 笑


人事・教育系への根源的関心

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中学・高校時代から教職に関心がありましたし、大学の時には文部科学省を受けることを真剣に考えたりもしました。

実際には、東大入試が終わってもう1回長期間を国家公務員試験の勉強に費やすのはなぁと及び腰になり、断念しました。

その一方で、大学生活後半には、スタートアップのようなインカレサークルのような就活支援学生団体で、イベント開催やウェブ運営に深く関わり、ウェブの方は、リクナビなど大手に次ぎ、月間ページビューが6位にまで至ったことがあります。

直接起業したわけではないですが、一度沈みそうになった船を引き上げる経験を含め、スタートアップで働くに等しい経験を積めた意味も含めて、これは貴重でした。

新卒の就職活動の際には、教育業界は考えませんでした。

教育業界で何かを自分が提供するためには、自分が既にそれを蓄積している必要があり、それを「共走」で学べば良いというのは奢った考えだと思っていましたし、高校生以下の若年層は関心の対象外でした。

但し、自分の根源的関心には気づいていたので、社会人としてキャリアを積み重ねてある時点でそちらに移行できたらいいかなぁと考えていました。

それはもっとキャリアの後の時点で来るとイメージしていましたが、色んな巡り合わせで海外MBA直後のこのタイミングとなりました。


自分で繋ぎ合わせるキャリア

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当時、第一志望だったNTTドコモに新卒で入社すると、私を含む事務系は、本社以外の関東甲信越の13支店のいずれかに配属されることになっていました。

私は最も東京から遠い新潟の法人営業部配属となりました。

法人営業部を希望する時点で、もう1つの選択肢である営業部(代理店やドコモショップ周りの担当)ならあり得た都内3支店(当時)の可能性はなかったのですが、まさか新潟とは思っていませんでした。

大学一年生の際に運転免許合宿の行き先選定基準として、今後二度と来ないであろう場所を定め、新潟県の燕市を選んだ私の判断は完全に誤っていました 笑

2年半前後の時間を新潟で過ごしましたが、最初は長岡市内のドコモショップでのショップ研修が3ヶ月近くあったりもしました。

そんなところから始まり、海外MBA入学審査官にいつの間にかなっているとか、人生はわからないものだなぁと思います。

でも、新潟の良質な日本酒や上司に連行されるゴルフの嵐に溺れてもなお有り余った時間に英語や会計を勉強しまくっておいたこと(+新潟で一応それなりに仕事の結果を出していたこと)が、金融庁や財務部でのキャリア及びIESE MBAに繋がっています。

また、言語面を度外視した、出願希望者(アプリカント)との私の折衝能力の多くの部分はこの法人営業の経験から来ています。

そして、今のような小さい組織でパフォーマンスを出すための心得は大学時代の学生団体の経験から来ています。

やはりキャリアは周りからわかりにくくとも自分で繋ぎ合わせて設計するべきものだと思います。

なお、官僚時代の対人折衝経験だけでそれを常識として今の仕事をしていたら、地雷を数々踏んでいたことと思います 笑

海外MBAのおかげで変化に対する耐性が相当強化されています。

それを今後のキャリア開発に活かしつつも、社会人当初とは違い、働く場所も一緒に働く人も働き方も、欲張って自分で極力選び続けるという意味で、人生にオーナーシップを持った生き方を心掛けていきたいと思います。




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