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YS 2.51 プラーナーヤーマ3: 自然と起こる

ヨーガ・スートラを有名たらしめるのが、ヨガのゴールを目指す8段階を記す八支則。ヤマ、ニヤマ、アーサナときて、今回は4つめのステップ、プラーナーヤーマーについての3回目です。
ヨガインストラクターのもえと申します。どうぞよろしくお願いします。

※前回は、こちらの「YS 2.50 プラーナーヤーマ2: 長く繊細なものに変わっていく」からどうぞ。


ヨーガ・スートラ第2章51節

बाह्याभ्यन्तरविषयाक्षेपी चतुर्थः॥५१॥
bāhya-ābhyantara viṣaya-akṣepī caturthaḥ ॥51॥

The fourth pranayama is that which transcends the internal and external object. (1)
第四のプラーナヤーマは、内側と外側の対象を超越したものである。

まず、今回のスートラについて、ハリーシャ(参考3)は、学者たちはこれが何を意味するのか推測しているが本当のところは分からないと書いています。それをふまえて、読んでいきましょう。


第四のプラーナーヤーマ

スートラは第四のプラーナーヤーマについて言及していますが、これは、唐突な話。これまでに、第一から第三のプラーナーヤーマについて言及されていません。フォーチャプターズ オブ フリーダム(参考1。以下、フォーチャプターズ)は、それらはヴァガバッド・ギーターに書いてある通りだとして、下記のように解説しています。

①上向きのエネルギーであるプラーナと、下向きのエネルギーであるアパーナが合流する。それにより、呼吸によって入ってくる空気と、出ていく空気が合流し、それらによって生じる感覚が止まる。
②呼吸に入ってくる空気が、その空気自体に合流する。
③②が起こると同時に、息を止める。ただし、それによって生じる感覚が突き抜けることのないようにする。また、集中の対象物の外側で起こる経験および顕在意識は外側に残し、内側の経験(サンスカーラ)および顕在意識は、は内側に残さなければならない。

とても読みづらいなというのが、わたしの感想です。分かるのは、とても微細な世界の話をしているのだろうということ。


プラーナーヤーマは、呼吸や肺が云々ということではなく、エネルギーを扱うことだというのはすでに前回までのスートラで解説がありました。ただ、この①では、そのエネルギーの流れる向きと、フィジカルな呼吸と、それらから生じる感覚を、感じ分ける必要があるようです。

そして③までいくと、顕在意識を、外で経験したものと内側で経験したものとで分類し、それぞれの置き所を選び、実行するというわけです。

途方に暮れた気持ちになるのは、わたしだけでしょうか。冒頭で書いた、ハリーシャの「分からない」という言葉に、改めて重さが加わります。


それはさておいても

とにかく、それまでの三つがなんであれ、と、わたしが読み比べている解説書が口をそろえて書いていることがあります。それは、この四つめのプラーナーヤーマは、自動的に起こるということ。

ということは、意図して起こせるものではない。だから、今回のスートラがいうところの詳細が分からなくてもいいのではないかと書いているのが、ハリーシャです。つまり、わたしたちに求められることは、それが起こる心の準備をしておくこと。


インテグラル・ヨーガ[パタンジャリのヨーガ・スートラ](参照2。以下、インテグラル・ヨーガ)は、自然とその状態になる理由を「ある対象または観念に心を集中させるだけで自然に息が止まるので、意識的に保息する必要がない」と書いています。

生きているということは、エネルギーを消費します。ただ、八支則のプラーナーヤーマのひとつ前、アーサナで準備をした身体は、動かずにいられるから、その意味でのエネルギーは保存される。

そして、身体がじっとしていても、心がじっとしていなければ、わずかながらエネルギーを消費すると、インテグラル・ヨーガは書いています。だから、心が一点に集中し、じっとしているならば、「エネルギーの消費が全然ないので、呼吸の必要がなくなる」わけです。だから、自然と、息を止めた状態になっているということ。


フォーチャプターズは、そのエネルギーを必要としなくなっていく段階を、自身の持つが過去の経験が揺り動かす今が消えていき、今起きていることを受け取る五感の道筋をふさぐと書いています。なんとなく、想像できそうでしょうか。

これは、ハリーシャも書いていることで、呼吸をしなくても大丈夫ではないかと思う瞬間が来るということではないかと書いています。練習中に、思い当たる感覚はあるでしょうか。同時に思い出しておきたいのは、だから、苦しいけど止めるということではないということ。


フォーチャプターズは、この四つ目の型を、マントラを唱え続けるジャパ瞑想で起こるのと同じことだと書いています。

インテグラル・ヨーガが、「無作為の楽な保息で、瞑想が深まると自然に起こる」もので、「身体の用意が整わないと起こらない」と書いています。改めて、苦しいけど止めるということではないということ。


ハリーシャはもうひとつの可能性を示唆しています。それは、心がとても穏やかになった結果、外側と内側の境界線がとけてなくなるということ。だから、外と内というのが、吸う息、吐く息ではなく、外の世界と内側の世界を意味しうるということ。これは、可能性として、あたまにいれてみるのもいいかなと思うので、紹介しておきます。


さて、まだまだ続くプラーナーヤーマ回。着地点はどこになるのか、どうぞお楽しみに。また来週、ここでお待ちしています。

※ 本記事の参考文献はこちらから
(2022/7/7 加筆・修正)



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もえ|渡辺朋江
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