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さかなとクジャクとわたしとみんな
今年の2月はよく雪が降りますね。
転居して初めての冬。
地域によって雪の降り方や雪の粒が違って新鮮です。
2025年2月。
家にこもってアニメやドラマ、音楽を楽しんだり、
外に出て、初対面の人と深い話をしたり、
父が還暦を迎えたり。
自分の中で大切にしたい忘れたくない気持ちがあったので、
残しておこうと思っています。
私の2月の印象に残ったヒトモノコトは以下の通り。
チ。ー地球の連動についてー(アニメ)
天動説と地動説。信仰と信念。
なにを善とし、なにを悪とするのか。
天と地がひっくり返るような 展開に吸い込まれていきました。
「そういうもんだ」で蓋をして生きていくにはあまりにもったいない。
異端になりたいわけではないのだけれど、
力強く生きていく勇気をもらいました。
結果、異端者になっているのであれば、それはそれでよいと。
チ。も様々な解釈があっておもしろいです。
「怪獣/サカナクション」フル尺リリース(音楽)
初めてフル尺を聴いた時の衝撃たるや。
上記アニメ「チ。ー地球の運動についてー」のOP主題歌でもあります。
公式に掲載された歌詞について。
アニメの主題歌であること、
サカナクションの約3年ぶりの新曲であること、
山口一郎さんのこれまで、
歌詞を見て、様々な解釈ができ、気づいたら3時間経っていました。
サカナクション「怪獣」
— サカナクション (@sakanaction) February 19, 2025
約3年ぶりの新曲がリリースされました。
アニメ「チ。-地球の運動について-」OP主題歌となっております。
DL&サブスクリプションでお楽しみください。https://t.co/ttyyVEo8cW#サカナクション_怪獣#チ球の運動について#サカナクション pic.twitter.com/QT61mdtopE
怪獣になるか、懐柔する/されるか。
書ききれないのでこの辺にしますが、言い切れるのは、
私の中でこの曲が、
私自身の好奇心という種火にこれから先も風を送り続けてくれる楽曲
となったということです。
クジャクのダンス、誰が見た?(ドラマ)
とにかく考察に夢中になってしまいます。
タイトルの「クジャクのダンス、誰が見た?」はインド哲学の一節。本作においては“たとえ誰も見ていなかったとしても、犯した罪から逃げることはできない”という意味を持つ、物語に通底する重要な言葉である。
あと、私がいま社会に感じている息苦しさに
どう向き合っていこうかということも同時に考えさせてくれるドラマです。
SNS、週刊誌、目に見えない圧力。
罵詈雑言、権利主張で誰かが悲しい思いをしている。
なんとも曖昧さや解釈の余白を与えてくれない。
共有というより強要を強いてくるような感覚。
そんな気持ちになることが多々あります。
真実は簡単に書き換えられてしまう世の中だからこそ
自分の目で見る、自分で決める、疑わない強さ、を
再度問われている気がしています。
かっこいい大人→奥田民生(音楽・生き方)
考えすぎて疲れてしまった時、
奥田民生の音楽に何度も救われています。
また頑張りたくなったら、ブルーハーツを聴く。
頑張りすぎたら、奥田民生に帰ってくる。
どちらも私の原点であり、もはや、私の人生の一部です。
新しい拠り所(コワーキングスペース)
あるコワーキングスペースの存在をたまたまSNSで知りました。
ぼんやりと遠くに見える光に吸い込まれるかのように
明確な理由はないのだけど、なんとなく立ち寄りたくなりました。
たった2時間。
なのだけど、夜空をみることもせず、
下を向いて粛々とこなすような日々を過ごしているぞ、と
気づかせてくれる瞬間がありました。
立ち止まることは大切ですね。現在地を知る感覚。
翌週もまた行ってみたくなり、管理人さんと30分くらい話をしました。
私にとって、こうした「スペース」は、
単なる「場所」だけでなくて、
時間や心、思考に「余白」を与えてくれるんだと感じました。
ふとした時に行こうと思える拠り所が増えて嬉しいです。
「みんな」って誰?(トークイベント)
行きつけの本屋さんで、トークイベントがありました。
テーマは『「みんな」って誰?』
兎にも角にも、気になってしまい、行ってみることにしました。
みんなって言葉を、便利に交渉の際に使ったり、
みんなって言葉で、苦しくなったり、、、
多かれ少なかれ、そういった経験が私にもあって、
じゃあこの「みんな」って誰なんだ?と。
「みんな」がもつ多面性、
所属や愛の性質と排他性や暴力性について
また、まちづくりや暮らしについて考える機会となりました。
個人的な気づきや感じたこと、印象に残ったことを箇条書きにします。
・みんなは、時にひとつであり、多様であり、われわれごとである。
・客観的な数値より空気(みんな)が良くも悪くも社会を動かす。
・コスパ、タイパ、有用性を求めてもいい。
・不便さをおもしろがれることもいい。みんな違って、みんないい。
・ネガティブ・ケイパビリティ「不確実性や疑い、未知を許容する」
・意図しない、結果としての課題解決。
・無条件の愛、母性があって、人は初めてひとりになれる。
・あえて肩書きを伏せて、出会う、話し合いをする。
・対話の中で「知らない」ということは貴重なこと。
・みんなと一緒にいたい自分と、一緒でありたくない自分。
・「占有」「共有」「分有」
・期待していないものが発生した時にそれを評価できるかできないか。
・KPIで測れない、目に見えないものを評価できるようになれば…
・結果よりプロセス。
・計画は仮説。5か年計画は毎年更新する。計画のアンチエイジング。
・「手間・暇・遊び」を大切にしたい!
父、還暦になる。
父が60歳になりました。おめでとう。
私と父の関係は、本当に不思議で。
お互いを尊重して、お互いできることで支え合う
心地よい関係性で今はいられています。ありがたい。
とにかく健康で日々楽しく過ごしてほしいし、
私もそう過ごしたいと思う。
長くなりましたが、この辺で。
今回書きながら、
計画とか説明とか一度手放して
私の「なんとなく」を大切にして
生きてみようと思いました。
なんとなくやりたいと思ったら、やってみる。
なんとなく行ってみたいと思ったら行ってみる。
その先はあんまり考えずに。肩の力を抜いて。
うまく説明できなくても、
先を見通せなくても、
なんとなくでいいって許容してみよう。
そこから生まれる何かを楽しもう。
ありがとうございました。