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素人だけど、ラ・カンパネラ(ピアノ曲)の魅力を伝えたくて、伝えたくて書いたエッセイ。
すこし、くすんだような小さな鐘の音。
音は高くなっていき、やがて柔らかく、力強く走り出す。
ラ・カンパネラ。
特別に音楽が好きと言うわけではないが、フランツ・リストの「鐘( Campanella)」というこのピアノ曲は耳に焼き付くほどに聴き続けている。
辻井伸行、ヴァレンティナ・リシッツァ、アリス=紗良・オット。
数々の名ピアニストが奏で、同じ曲でもこれほどに味わいが違うものかと聴くたびに驚く。
梅雨の湿気のせいか、夏の暑さのせいか。
少し弱ってきた家族が眠りについた後。なんでもないただの一日を振り返るようにひとり、耳をすませる。
夜に聴いて、ゆったりと癒やされる、という曲ではない。
緩やかに、美しく打ち付けられる雨粒のような鐘の音は、少しずつ少しずつ狂気をおびてくる。
美しさと狂気。
ということで言えば、アリス=紗良・オットの演奏がより強くそのコントラストを感じる。
優しくて、機械のように精密な音は、徐々に激しい感情を含み、最後には混沌に飲み込まれて壊れてしまった機械のような狂気に陥る。
疲れが充満した身体から、疲れのエッセンスをぎりぎりと絞り出していくようで、どこか痛気持ちいい快感を得る。
続けてプレイリストからは、フジコ・ヘミングのラ・カンパネラが流れる。
フジコ・ヘミングのラ・カンパネラ録音は何種類かあるが、1973年録音が他のどの演奏よりも深く自分の中に入り込んでくる。
情熱的で躍動感に溢れる演奏。弾きはじめから鐘の音にまじり、鍵盤を叩く音が聴こえる。キンッという鐘の音と同時に聴こえるこのトンという柔らかい音。
いまほど録音状態がよくなかったためか、薄っすらと膜を被せたようにぼおっと空気の音とともに響くラ・カンパネラ。
後年の演奏とはまったく違う、どこか不安定さを含んだ情緒。
不安定さを象徴するかのように、わずかに転がり走る音。この音と指は、彼女の想いの熱量についていけるのだろうか、どこかで転がり落ちてしまわないのだろうか。そうした不安すらも置いていくかのように、まるでジャズを彷彿とさせるような後半へと突入していく。
音は、ギリギリのラインを走り続け、走り抜ける。
曲が終わり、待ちきれない観客の拍手が鳴り響く。
聴き終わると、静かに息が漏れる。いつの間にか息をとめてぼく自身もメロディーの上を走り抜けていたかのように。
今日という一日で、少し自分を取り戻せたような気がする。
久しぶりに聴いた鐘の音が心地よく胸に響いたことで、ぼくはそのことに気がつくことができた。
***
上記で紹介したアリス=紗良・オットのラ・カンパネラ。
美しさと狂気。ぼくはこの演奏からそんなイメージが湧きました。
上記で紹介した、フジコ・ヘミングのラ・カンパネラ1973年録音バージョン。残念ながらYou Tubeなどには同演奏はなかったのでAmazonMusicから。
iTunesにもあります。
同タイトルのアルバム内に、ラ・カンパネラは2曲収録されていますが、ぼくはアルバムの最後を飾るこの1973がなにより好きです。
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今日も、見に来てくれてありがとうございます。
クラシックに詳しいわけでもない素人が、曲のことを書くのはある意味勇気が入りました。でも、好きだという気持ちにプロ・アマは関係ないはず。
ただただ、この曲たちが好きなだけなんです。
ぜひ、明日もまた見に来てください。
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