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不登校になる勇気
ぼくは小学校時代、6年間イジメを受け続けていた。
自分がイジメを受けている、なんてことは恥ずかしくて親にも言えなかった。
ただ、なんどか「引っ越したい」と訴えたことはあった。もちろん、子どものそんな言葉のたびに引っ越しをするわけになんかいかないから、なんだかんだとなだめすかされたんだったと思う。
学校に通うのが嫌すぎて、夏休み、帰省先の田舎から東京へ戻る新幹線のなかでずっと泣きつづけたこともあった。
***
毎日、センセーショナルに殴られたりするわけではない。
辛いのは、小さくハブられ、話しかけられる人間がまわりにいなくなることだった。プリントが前から回ってきたとき、ぼくを飛ばして、後ろに座っていた人にわざわざ歩いて渡したり。
なにより嫌だったのは「好きな人同士でグループになって」の号令。ぼくとグループになる人なんて誰もいない。
でも、そういえば好きな人グループでも3年生のときはいい思い出があった。
同じクラスだった、知的障害のある男の子。すごく優しい子で、いつもにこにこしてたけど、言葉によるコミュニケーションがむつかしく、混乱すると大きな声を出して泣いてしまう癖があった。
残念ながら、彼もぼくと同じように好きな人同士のグループでは誰からも選ばれなかった。だから、というわけでもないけどぼくと彼が仲良くなるのは必然だったようにも思う。
彼とは、小学校時代ゆいいつの親友になった。
彼はぼくのことをいっさい差別しなかったし、ぼくは彼を安全に家まで送り届けるという(帰宅途中になんども行方不明になったりしていた)勝手な使命を背負っていた。
だけど4年生になって、彼は別の学校へと転校していった。
***
またぼくは、ひとりになった。
なんども、学校へ行くのをやめたいと思った。親にそれとなく打診したこともあった。だけど、ぼくには頑として「行かない」という選択肢をとる勇気がなかった。
学校へ行くことがあんなにも辛かったのに、それでも通い続けたことはぼくにとってけっして「成功体験」ではない。
ガマンして通いつづけたからこそ得られたことがなにかあったとも、思っていない。小学校時代に受けた傷はその後、中学・高校・大学・社会人と、どのフェーズになっても時折ひらいて血をふきだす。
中学時代は、ぼくはイジメの加害者グループに入ってしまった。
高校時代は、すごく嫌だったのにヤンキーグループと一緒にいるようになった。人と話をするのがとにかく怖くて、いつも挙動不審な時代が長くつづいてしまった。
「不登校」は、大人が心配するほど悪いことなのだろうか。
社会は、そんなにもやり直しがきかないものなのだろうか。
不登校にならずにいじめられ続けて負う傷と、不登校になって新たに再スタートを切るリスク。どちらが本人にとって前向きな挑戦になるんだろう。
イジメの被害者は、それだけの我慢をし続け、一生傷を負ったまま生きていかなくてはいけないのだろうか。
ぼくは、そんなことはないと思う。
学校はひとつじゃない。学びの場もひとつじゃない。
多感な子ども時代。苦しい毎日、苦しい時間に耐えるよりも価値のある時間を過ごさせてあげることってできないんだろうか。
学校が死ぬほど辛いなら、行かなくていい。
学校に通えないことを、引け目になんか思わなくていい。
だってそうじゃない? 学校に通えないからなんだっていうんだい?
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今日も、見に来てくれてありがとうございました。
教師のいじめ問題、連日のニュースは本当にひどいです。給食でカレーをやめる? 彼らはいったい、なんの話をしているんでしょうか?
そんなニュースを見ていたら、ふと自分のむかしのことを思い出しました。
当時のぼくに、もしも言えるなら「学校なんて、死ぬ気になってまで行くようなところじゃないよ」って笑いかけてあげたいです。
ぜひ、明日もまた見に来て下さい。
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