エビデンス・ベースド・マーケティング入門|マーケター、消費者、広告の捉え方
マーケティングの常識を変えるエビデンス・ベースドな知識
「マーケティングをやっています」と自己紹介をすると、よく「マーケティングってなに?」「難しそう」という反応がきます。響きはかっこいいけれど、実態は漠然としてつかみどころがない。マーケティングはそんな職種のようです。
そんな曖昧さを良いことに、マーケター自身が「マーケティングの仕事は"全部"だよ」と見栄を切ることもあります(自分も言っていた時期がありました。「ほぼ経営に近い仕事だよね」とか偉そうに)。
そんなロマンと、実際の社内のポジションの狭間で、歯痒い思いをしながら誇りを持って働いているマーケターのみなさんに、知ってもらいたい話があります。エビデンス・ベースド・マーケティング(EBM)です。EBMとは、市場や消費者の行動を、どんな時でも起こりうる一般的な法則に基づいて予測し、マーケティングの戦略に役立てることです。
たとえば、
Q.マーケティングの4Pは何ですか?
という質問には、マーケターのみなさんであれば答えられると思います。「プロダクト(商品)、プライス(価格)、プロモーション(宣伝)、プレイス(流通)」ですね。ここまでは、既存のマーケティングのフレームワークです。では、
Q.マーケティングの4Pの中で、消費財ブランドを新しく立ち上げるときに、最も重要なPはどれですか?
この問いには、22カテゴリー、225ブランドのデータ5年分を調べた研究があり、一番大事なのは「プレイス(流通)」、二番目は「プロダクト(商品)」であることが分かっています(Ataman et al.,2008)。
これがわかっていれば、サプライチェーンの見積もり・構築をおろそかにすることなく(実際はおろそかになりがちだそうです)、新ブランドの立ち上げを成功させられる確率が高まります。
このように、実証研究や再現研究により証明された、マーケティングに関する普遍的な法則を活用して、重要な勘所を外さないようにするのが、エビデンス・ベースド・マーケティング(EBM)です。
基本的には、海外文献に依るところが多いと思ってください。日本にあまり浸透していない理由は様々あると思いますが、自分が感じたのは言語の壁と情報へのアクセスのしにくさです。私は現在米ワシントン大学に留学しており、二重の意味で恩恵を受けています。
一つは英語です。読み書き発話にだいぶ慣れてきており、大学の授業でもマーケティングプランの立案を英語でリードする程度になってきたので、言語の壁はそこまで高くなくなっています。ただし、この問題は英語が苦手でもDeepLとかに課金すれば解決できると思います。
問題は二つ目です。海外の論文にアクセスするにはお金がかかることが多いです。Google Scholarで論文を検索しても、中身を読むのは有料、というパターンが大半です。その点、自分は現在ワシントン大学の学生であるため、そのIDを利用して、様々な論文に無料でアクセスできます。個人でEBMを学ぶ場合は、この辺のコストもネックになってきます。
ただし、EBMは、今後のマーケティング業界を変える大きな波だと思っています。巷で流行っているコトラーやケラーが言ってきた理論は本当に再現性があるのか。P&GやUSJの手法は自社に当てはまるのか。森岡さんや西口さんが推奨している手法がすべてなのか。
自分もコトラーの「マーケティング・マネジメント」を完読し、森岡さんの書籍をコンプリートし、N1分析を社内に落とし込もうとしたことがありました。自分が通っているワシントン大学では、いまだに旧来的なマーケティングのフレームワークやセオリーが、元マイクロソフトのマーケターや、マーケの修士号を持っているインストラクターから語られます。
しかし、それらは本当に再現するのか。そうしたこと意識的になりながら、実証研究、再現研究の結果をもとに、マーケティングの普遍的な「新常識」を作っていく。それがEBMの流れです。
本noteでは、EBMの本家である南オーストラリア大学で使用されているマーケティングの教科書「Marketing: Theory, Evidence, Practice」と、話題の新刊「戦略ごっこ―マーケティング以前の問題」を底本に、マーケティングの役割や消費者の性質を概観していきます。マーケティングを学ぶみなさんにとって、視野を広げる手助けになれば幸いです。
マーケターの定義|増分浸透率、コミュニケーション
増分浸透率が究極的な目標である
EBMは「マーケティングの役割」論争に、終止符を打ちます。マーケターの役割は、煎じ詰めれば、購買回数0回の顧客を、1回の顧客にしていくことです。これを「浸透率を上げる」と言います。もっといえば、「増分」の浸透率を上げる必要があります。「何もしなくても買ったかもしれない顧客」に対して施策を打っても、浸透率は増えません。マーケティング活動によって、確実に顧客を増やすことが重要です。
書籍「戦略ごっこ―マーケティング以前の問題」の著者・芹澤氏は、イベントの中で「マーケターの役割は増分リーチを増やすこと。どうすれば増分リーチを増やせるかを常に考え、答えられるようにしておかなければいけない」と語っていました(2024年3月8日、筆者参加)。なぜリーチ(あるいは浸透率)が大事なのか。それはEBMの重要原則「ダブル・ジョバディの法則」に依るからです。
そして重要なのは、常に物事の順番は、「購買顧客増→ロイヤルティ(1人あたりの購買回数)増」であるという点です。購買回数0回の人が1回になり、1回の中から2回、3回という人が出てくることで、ブランド全体のロイヤルティが上がります。ロイヤルティだけを上げることで、購買顧客が増えるというエビデンスはありません。
また、既存顧客の購買回数を増やしたり、アップセル/クロスセルだけに頼っていても、彼らはいずれ顧客ではなくなります(「平均への回帰」が起こる)。その間、新規獲得を手薄にしていれば、「客が出ていくが入ってはこない」というきつい状況に陥ります。
事業成長のドライバーは、ロイヤルティ向上ではなく新規顧客獲得にあります。常に、新しい顧客はどこにいるのか、自社のプロダクトをどういう文脈に再解釈すれば新しい顧客になってくれるか、を考えなければなりません。これが浸透率(最低1回は買う顧客の数)が重要な理由です。
コミュニケーションが鍵
前項で、マーケティングの役割は「浸透率を増やすこと」という話をしました。「Marketing: Theory, Evidence, Practice」には、マーケターの仕事に関する、より包括的な説明があります。
この節で興味深いのは、「医者のように」という比喩だと思います。医者は、特定の知識とメトリクスを使って、患者の健康状態を測り、必要に応じて施術します。しかし、患者の「生き方」のような哲学的なところまでは踏み込みません。「マーケは経営に近い」ということを言うとき、患者の人生に相当肩入れしている医者のようなスタンスになると思いますが、そうではなく、あくまで自分の本分の中でプロフェッショナリズムを発揮することが求められます。
別の節では、コミュニケーションについて論じています。
EBMの知識を知っていたからといって、即座に現場で応用できるわけではありません。芹澤氏は「戦略ごっこ」の中でこうも書いています。
マーケティング部署外の方達は、基本的にマーケティングの知識が薄いです。それでも、過去の経験から「自社の顧客はこういうものだろう」「マーケティングにはこうしてほしい」というそれなりの持論を持っています。そこに正面から「この本にこう書いてあったからこうしましょうよ!!」とぶつかっていっても怪我するだけなのです。社内外を説得し、同じページの上に載せることも、仕事の一つだという認識が必要です。
次のような定義もあります。
マーケット・ベースド・アセットとは、過去のマーケティング活動により社会に構築された「メンタルアベイラビリティ(思いつきやすさ)」と「フィジカルアベイラビリティ(手に入れやすさ)」です。今日の売り上げの多くは、現行で走っているマーケティング施策ではなく、過去に構築され市場に浸透した「思いつきやすさ」と「手に入れやすさ」に寄っています。この資産を傷つけることなく、管理し、増やしていくという視点が必要になります。
最後に、社内に向けた役割としては
つまり、社内に顧客の情報を共有し、顧客指向で物事を考えられるようにサポートしましょう、ということです。エンジニアは技術のディティールに、財務は勘定のディティールに陥り、顧客を忘れてしまうことがあります。お客さんがまるで邪魔者であるかのような飲食店に入った経験がある人もいると思いますが、お客さんがいなければビジネスは成り立ちません。そんな社内向けの教育も、マーケの役割の一つです。
まとめると、
EBMの知識、市場や顧客に関する情報、コミュニケーション力を駆使しながら、プロモーションを中心に、「誰に何を売るか、どのような広告をするか」ということに関する提言、意思決定、エグゼキューションを行い、浸透率を増加させる。
ということになるかと思います。「マーケティングの役割は"全部"です」ではなく、浸透率を軸にした説明ができると良いですね。
また、マーケターの仕事の性質ですが、戦略立案や新しい広告企画だけではなく、「既存の施策を管理・改善する」というルーティーン寄りの仕事も重要になってきます。今の売り上げを維持するだけでも、一定の広告出稿量が必要になるためです。マーケティングの仕事がつまらなくなってきたな、と思ったら、施策のフェーズが「維持・改善」に入っているからかもしれません(過去の自分がそうでした)。
顧客と広告|顧客の生活に寄りそう
顧客は自分の人生で忙しい
では、顧客とはどのような方達なのでしょうか。
マーケターは、自社プロダクトをうることに1日8時間×週5日×1ヶ月4週間×…と膨大な時間を費やしています。自社ブランドが好きになり、顧客にも好きになってもらいたい、と思い始めます。そのようにして、どんどんと顧客の認識とずれていきます。
顧客は、自社ブランドに基本的に興味がありません。
顧客としての自分を振り返ってみればわかると思います。例えば、自分は毎週のように買う炭酸水、パスタソース、韓国海苔の商品名を覚えていません。旅行の計画を立てるときはAgodaかExpediaか、先に辿り着いたサイトだけで完結させ、サイト間を比較することはありません。高級なバッグを買いましたが、その店の名前を忘れました。シャンプーは毎回とりあえず有名どころの安いやつを買っています。
自社製品に没頭していると、認知が歪んでくるのです。自社ロゴに惚れ込み、その機能性にうっとりし、自分たちが「イケてる」と思い込んだ先に、消費者にとって一番重要な勘所を外す、ということが往々にしてあります。
顧客は自社ブランドに興味がない。覚えたとしてもすぐ忘れる。そういった認識を前提にマーケティングプランを組むことが何よりも大事ですし、たまに認知を矯正するために、市場調査をしてリアルを知ることも有用になります。
広告はリマインドのためのツール
そんな自社に興味のない顧客に、広告はどんな働きをするのでしょうか。
かつて、広告は顧客を「説得」をするものだと考えられていました。自社製品の利便性を訴求し、顧客の行動を「変える」のだと。
しかし、近代的な考え方では、広告の力は「弱い」とされています。
人の行動を「変えよう」としたり、「再検討してもらおう」とするのではなく、その行動に寄り添い、その文脈の中で、自社ブランドを思い出してもらうためのツールーーそれが現代的な広告観です。リマインドこそが、広告の最大の貢献です。
ましてや、「他社より優れている」と信じさせる必要もないのです(というか大抵は広告枠が狭すぎてできないです)。
そう考えると、自分が歩んできたリスティング広告やSEOの道は、こうした広告とはかけ離れていることが分かります。あれはむしろ、「フィジカルアベイラビリティ」を高めていると考えた方が正しいかもしれません。消費者はすでにニーズがあって、検索窓にキーワードを打ち込んでいます。その時にいかに手の届きやすい位置にあるか。それがリスティングであり、SEOです。
そして、同じGoogle広告でもディスプレイ広告やYoutube広告は、完全に一般的な「広告」です。効果が分かりにくく、クリエイティブの問題があり、費用及び工数対効果の観点から捨てられてしまいがちな"広告"施策。しかしそこに腰を据えて取り組まなければ、真のマーケット・ベースド・アセットは組めないのです。「腰を据えて」というのは、クリエイティブ内容を意図的に作り込むこともそうですし、1キャンペーンあたりの費用が高くなることもそうですし、そうした広告を1回きりでやめず、定期的に打ち続ける息の長い体力が重要であるという意味を込めています。
ラジオ広告やYoutube広告を出稿したこともありましたが、せいぜい1ヶ月程度でした。「所与の1週間で何かしらの広告に触れる潜在顧客は5%程度」という研究結果があり、重複抜きにしても1ヶ月では20%前後。彼らは潜在顧客なので、その時に需要があるとは限らないのです。そして広告は忘れ去られて終わります。広告はロングタームで出し続ける必要があります。
広告は記憶の中で働きます。広告と記憶構造を結びつけるテクニック、消費者の注目を集めるクリエイティブにも、エビデンス・ベースドなティップすがありますが、その辺は別の機会に。
終わりに|USで絶賛仕事探し中です
以上、EBMの観点から、マーケティング法則、マーケターの役割、消費者像、広告の役割について概観してきました。マーケターは「何でも屋」ではなく、「浸透率の増加」を通じてビジネスに貢献する存在であり、相対する消費者は自社ブランドに興味がなく、広告もそこまで強くないツールです。こうした事実を考えると、事前の市場調査、戦略的なコミュニケーション設計、長期的な運用がいかに大事かが見えてくると思います。
本noteでお伝えしたかったことは、エビデンス・ベースド・マーケティングを前提にした、マーケター、広告、消費者の考え方でした。自分もEBMの初学者ですが、混沌とした日本のマーケティング業界を刷新し、各企業が真の競争力を身につける鍵が、EBMにあると思っています。今後もEBM関連の情報があれば発信していきます。