【人生を変える】本当の俯瞰の目とは何か?
「俯瞰の目を持つことが大切」
そんな言葉を聞いたことがありませんか?
私はもともと子供の頃から
物事を客観的に見る力に長けていて
自分を捉える力もちゃんとあると思っていました。
全部見えている。
全部わかっている。
そんなつもりになっていた、
あの頃に自分に言いたいのです。
「それちょっと、勘違いですよ」って。
全体を大きく捉えることが得意ゆえ
自分を客観的に扱いすぎてしまうところがある。
自分のことですら
どこか他人ごとのように処理できてしまったりする。
だから、
自分が感じたことへの扱いは下手くそなままだった
私の話です。
そもそも俯瞰とは?
全体をフラットに見て
全体像を捉えていく視点のことです。
私はこの全体を把握することがとても得意だし、
常にリーダーという立場を与えられ
それが役割だとわかっていた。
引きの視点はナチュラル装備で
自分自身に対しても
全体のどこに置くとバランスがいいのかと
いつも測り、そこに合わせていく。
役割だからそれでいい。
そう思っていたけれど、
でもいつも傍観者であって
当事者ではないこの感じ。
上手くこなせるけれど一体感がないこの感じ。
これっていったい何だろう?
そんな違和感もあった。
なぜ私はいつも自分のことを
こんなに冷めた目で見ているのだろう?
「俯瞰の目」はどうやら2種類あるのかも?
1. 外側の状況に対する俯瞰の目
2. 自分に向ける内側からの俯瞰の目
人生を大きく動かしていくには
その場を上から全体的に見るだけでなく、
自分が今感じていることを客観的に知ること。
こっちを強化しなきゃダメだった。
外側に合わせるのが得意すぎるゆえに、
自分の気持ちはなかったことにできてしまう。
それは、全体がうまく回ることが
喜びでもあったから。
例えば、私はグループって本当は苦手だった。
それでも、いつも冷静に全体を観察して
自分の立ち位置を計りながら
輪に入れない子をチェックしつつ
上手く収まるように配慮し
常に全体のバランスが崩れないように
大きく見渡しながらまとめていく。
そうやって、
状況に合わせて動く事は超得意。
これは気持ち云々は関係なく
自然と出来てしまうことだから
私は俯瞰が出来ていると思っていた。
でも本当は、
そつなくこなしてる風のその奥に
無邪気に見える人たちを
何も考えていないと小バカにしている自分や
本当はもっと近づきたいのに
素直になれない自分
本当の自分を見せたら
嫌われるかもと思っている自分
深くかかわって傷つくのが怖い自分
そういった
「心の奥底で本当は思っていること」
を認めること。
無意識に逃げてきて
感じないように避けてきた
自分の本当の気持ちに気づいていくこと。
そう感じている自分を知り
何がそう思わせるのかを知っていくこと。
それを疑い開いていくこと。
そうすることで
その奥にある、
本当の願いと繋がっていくこと。
これが大切だったんだ。
人生を動かす俯瞰の目とは
自分に向ける内側からの俯瞰の目こそが
人生を変えていくことが出来る
本当の視点なのかも知れないな。
それは、
状況や全体像をとらえる力とは全く別物だ。
そう気づいたとき
今まで書いて来たノートを
振り返ったんだよね。
状況やそれに対する
今の自分の頭で考えられる策ばっかりを
一生懸命書いていたよ。
自分の気持ちは書いても
すぐに打ち消したり、
そんなことよりも
こうしなければ
ああしなければ
こうであって欲しい
こうして欲しい
見事にそんなことばっかりだった。
状況ばかりを見ていて
私自身を置き去りにしていたから
いつもどこか他人事で、
そつなくやっているのに
いまいちパッとしない
くすぶっているような感覚がぬぐえない。
まぁ、こんなもんか。
いつもそうやって
妥当なところで満足してた。
そりゃそうだ(笑)
その場を上手く行かせるために
全体を見渡し頭を働かせるということは
頑張っても頭で計算できる範疇を超えてはいかないからそこそこだし
何よりも、
「私が」何とかしなければ
「私の力」でと執着するほどに
本当は「みんな」で楽しみたいという願いから
どんどん切り離されていくのだから。
上手く立ち回ることはできるけど
嫌になってくる。
ここではない気がしてくる。
そういう時って
本当に自分の気持ちを
無視している時だったなと思う。
そんな自分に気づかぬまま
ここは私の居場所じゃないと
場所だけをいくら変えたところで
同じことを繰り返すだけなのに。
物事を客観的に捉える力が強い人ほど
結構はまりがちな落とし穴だと思うけどな。
見えているはず
わかっているはずなのに
いつもそこそこで、
イマイチ持て余しているような。
上手くやっているけど、
思った以上の現実の変化はやってこなくて
もどかしい時
「俯瞰している」と思っているその視点は
ちっぽけな頭の中だけに
とどまってはいないだろうか?
仕事でチームを立ち上げていくことが多いけど
両方の俯瞰の目を使えるようになってからは
今まで以上に楽にスムーズに
お互いが心地よく発揮し合える
良いチームをつくれるようになった。
調和は、
我慢や無理して形を変えることではなく
そのままの形で存在させてあげた時に
自然と起こってくるものだったし
合わせなくても
合わさってくるものなんだな。
そこに育む姿勢があれば。
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