「可哀想な私」で生きることをやめた、息子との約束
「可哀想な私」で生きるのはやめよう。
これは4年前、主人が亡くなった時に息子と約束したことです。
当時の息子たちは中学2年生と小学5年生。
ふとした瞬間に勝手に涙が出てくるような不安定さを抱えながらも、変わらず日常はやってくる。
どんなに悲しくやりきれない気持ちを抱えていても、お腹はすくし、トイレも行くし、眠くもなる。
「パパがいない」変わったのはそれだけで、それがとてつもなく大きく、ただそれだけでもある。
変わったようで、何も変わらない。
そのアンバランスさに少し慣れ始め、変わらず流れていく日常が自分の中に再びなじみ始めた頃、私のスマホに一件の連絡がありました。小学校からです。
「実は今日、カズキくんが泣いてしまって……」
申し訳なさそうに、先生はそう切り出すと、息子が授業中にお友達とふざけていたこと。注意するため話をしていたら、泣き出したこと。いつも元気キャラで、みんなを笑わせてくれるイメージしかなかったので驚いたこと。お父さんを亡くすという大きな経験をしたばかりだったのに、元気そうに振舞っていた姿に安心し、配慮が足りなかったかもしれないと思ったこと。
そのような話を伝えて下さいました。
注意をされた、ということは余程目に余る態度だったからでしょうし、ご迷惑をおかけしたことに対する謝罪と、丁寧にお伝えくださったことに対するお礼を伝え「息子からも話を聞いてみます」と会話を終えました。
正直、私も驚いたのです。
主人が亡くなって以来、息子たちとはいろんな話をしてきました。一緒に泣きながら、励ましあいながら、笑い飛ばしながら、お互いの痛みを分かち合い、見守り合ってきた。その上で、私の中に「彼らはきっと大丈夫だ」という感覚もあった。
もちろん、悲しみは簡単に消えません。涙が出ちゃうことだってある。しかし、先生のお話の中に含まれていた「はしゃいでいないと辛いことを思い出してしまうようで」というニュアンスに、かすかな違和感を覚えたからです。
とはいえ、私の頭の中に不安も駆け巡りました。
もう大丈夫、と決めつけていなかったか?
本当は無理をさせていたのではないか?
ちゃんと受け止めてあげれていたのだろうか?
「一体何があったんだろう?」はやる気持ちをおさえ、息子の帰りを待ちました。
「ただいま」
普段と変わらない様子でソファに飛び込む息子に、私が会話を切り出そうとする一瞬先に、
「話したいことがあるんだけど」
息子の方から、声をかけてきました。
「ごめん、怒らないで聞いて欲しい」
そう前置きした後、学校でふざけていて先生に怒られたことを伝えてくれました。その経緯をひと通り聞き終えた後、実は先生から連絡があったこと、先生が私に伝えてくれたこと、とても心配してくれていたことを話しました。
「やっぱりな。それで、その話を聞いてママは正直どう思った?」
意外な質問に少しばかり驚きましたが、この言葉に確信したのです。
「本当はなんで泣けちゃったの?」
「…………。怒らないでよ?」
気まずそうにもう一度念を押し、こう続けました。
「よくないってわかっているけど、悲しそうなフリをするとそれ以上怒られないんだなって……」
自分から「辛い」「悲しい」と言った訳ではない。「辛いとは思うけど」「大変だと思うけど」「悲しいと思うけど」そんな言葉を何度もかけられているうちに、悲しいフリをしていたら、見逃してもらえる。という事に気付いたそうです。フリをしていたら涙がちょっと出ちゃったんだって。
「良くない事をしたのはわかってる。でも正直僕は、パパのことを忘れちゃっている時もある。僕は冷たいのかな?悲しいなって思う時もあるけど、そんなにいつもパパのことを考えてもいない。普通にすごしているだけなのに『可哀想』とか『大変だね』って言われるんだ。それも心配してくれてるんだってわかるけど……。でも、
僕はいつまで、可哀想でいなきゃいけないの?
いつまで、悲しんでいればいいの?」
心にズシっときた一言です。
家族を亡くすという経験を、私たちはした。それは思っていたよりもずっとずっと早く訪れた。とても衝撃的で心のダメージは大きい。
これらの経験に可哀想という言葉を充てる人もいる。身近な人たちのその言葉は心配し想ってくれているのだと十分理解もしている。
ただその言葉が自分を縛るように感じるなら、わざわざそれを自分に充てがう必要はないと思うのだ。
「可哀想でいるかどうかは、自分で決めていいんじゃないかな?」
人から見たら可哀想と思えるような状況でも、そこで自分が「可哀想な私」でいるかどうかは別のことなのだ。
そしてやっぱり「可哀想な私」というのを、この先の人生で言い訳のように使って欲しくないという思いもある。
「パパのせいみたいにするの、やめよ」
「うん」
この瞬間、不思議なもので私の中にあった古いわだかまりまでもが溶けていったような気がした。それは、かつて私が母に対してもっていた「お母さんのせいで」という気持ち。ほんのカケラだがまだ残っていたものがようやく全て流されたような、清々しさだった。
「可哀想な私で生きるのはやめる」息子とそう決めたことは、責任を持って「私」を生きていくことへの勇気と覚悟を、今でも与えてくれている。