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エッセイ#5 ルーティンに囚われないために〜日常の変化を感じる方法〜


ルーティンの中で単純化された毎日に
果たして幸せを感じることができるのだろうか。


午前五時、寝室の天井を眺めながら、ふとそんなことを考えた。
今朝も変わらず、同じ時刻に目を覚ます。

私の朝は、顔を洗いコーヒーを飲むことから始まる。
ティファールにコップ1杯分の水を入れお湯を沸かしている間に
せわしなく顔を洗う。季節はまだ2月。
水はかなり冷たいがそのおかげで頭がスッキリと冴える。

顔を洗い終えるころにはお湯が沸いている。
お気に入りのステンレスコップに目分量でインスタントコーヒーを入れ
お湯を注ぐ。スプーンでくるくると6回かき混ぜ一口ゆっくりと口に含む。
これで完全に目が覚める。

簡単なメイクを施し、洗濯カゴに溜まっている洗濯物を一気に洗う。
掃除機もかけたいけれど、さすがに日曜日の朝一番には向かない。
仕方なく諦める。

時刻はまだ六時を少し回ったところ。
夫と二人の娘が起きてくるまで
しばらく時間がある。この間に、最近はnoteを綴っている。
自分と向き合う大切なひとときだ。
心に留めていたことを一度書き出してみる。
今の自分の心と体のバランスが、正しく機能しているのかを確かめるかのように。

慌ただしく毎日を過ごしていると、日常の小さな変化に気づけなくなる。
それが、少し悲しい。例えば、庭の木々の芽吹きや、娘の口癖の変化
夫のコーヒーの飲み方のちょっとした違い。
そんな些細な変化さえ、気をつけていなければ見逃してしまう。


しかし、変化のない日常は、本当に退屈なものなのだろうか。


ふと、親友の結婚式のスピーチを思い出す。

「小さな幸せをコツコツ積み重ねていきたい」
なぜか、この言葉が頭の中で反芻される。

幸せとは、特別な出来事ではなく、日々の積み重ねの中に宿るのではないか。

朝のコーヒーの香り、家族との何気ない会話
夫が寝ぼけまなこで降りてくる光景。
気づくか気づかないか、その違いだけなのかもしれない。

頃合いを見て、次にすることは朝食の準備だ。
朝食は、卵焼きとウインナーを小皿に盛り、パンと一緒に出すことが多い。
夫にはコーヒーもいれる。彼も私と同じくブラックを好む。

今日もいつものように卵焼きを作っていると
「おはよう~」と夫がまだ半分寝ぼけた顔で階段を降りてくる。
時計はすでに10時を回っていた。「おはよう、じゃなくて『こんにちは』だよ」と心の中で突っ込む。けれど、少しうらやましくもある。

「お母さんも寝た方がいいよ。」

彼はそう言うけれど、それができたら苦労はしない。
一度目が覚めると、二度寝、三度寝ができない。少しせっかちな性格なのだ。

しかし、早く目覚めることは誰よりも長く朝の静寂を味わえる
ということでもある。目覚めとともに訪れる思考の時間は
私にとってかけがえのないものなのかもしれない。

あの日あの時(単純化された日々に宿る幸せ)

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