2019/11/24(日)読書習慣をつけるための新たな試み「寝起きの8分間読書」
ぼくは、本を読むのが苦手だ。
かつては割と読書好きで、読書家を名乗るにはとうていおこがましいレベルではあったものの、いくばくかの冊数は読んでいた。
しかし、数年前にとある病気に罹ってしまい、読書をすることがきわめて困難になってしまった。
「読みたい」「学びたい」という意識は強く残っていたため、気になる本は多少懐に無理をしても買い続けていたのだが、結局、ほとんど読むことができなかった。
おかげで我が家は、積ん読の摩天楼の群れがそびえ立つ、紙束のメトロポリスみたいになっている。
だが、ありがたいことに、今年に入ってからは病気が徐々によくなってきた。
それにともない、読書にも再挑戦したのだが、読めなかった期間にできあがってしまった「読書をしない生活習慣」「読書への苦手意識」が根強く足をひっぱっており、今のところ、うまくいっていない。
* * *
「買ったのに読めない」というのは、屈辱だ。
「意識だけ高く、カネばかり使っておいてぜんぜん読んでいない」
「頭だけ、口だけで、行動がぜんぜんない」
「カネ使って何かをした気になっているが、実際は何もしていない。つまり無駄金を使っているだけ」
「やりたいこと、やるべきことだとわかっているのに、やらない、やれない。この無能め。無能力者め」
ぼくの頭の中では、こうした自責のメッセージがぐるぐると渦巻いており、自己肯定感と自信をグシャグシャにぶっ壊し続けている。
そして、それらは「恐れ」と「無力感」へと変わり、再挑戦への大きな壁として幾重にも立ちはだかっている。
つらい。
とてもつらい。
ネットと動画の時代になったとはいえ、読書が知性を育てるのにもっとも有力な手段であることは変わりがない。
逆にいえば、読書をしないで知性を育てるのはなかなかにタフな道のりであるといえる。
しかし、今のぼくにとっては読書をすること自体がタフな道のりだ。
作戦を、立てることにした。
* * *
2ヶ月ほど前から、ぼくは筋トレの習慣化への取り組みを開始した。
結論からいうと、かなり成功した。
ほぼ毎日、何かしらのメニューはこなしている。
なぜ、成功したか。
理由は簡単、ハードルをハチャメチャに下げまくったからである。
まず、スクワットの習慣化からはじめたのだが、この際、自分に課した回数は「2回」である。
繰り返す「2回」である。
「なめとんのかワレ」と思われたかもしれないが「2回だけやる」と決めて、実際に2回でやめるのは逆に難しい。
あまりにもイージーすぎるので、もうちょっとだけやろうかな、と思う。思ってしまう。思わざるをえないのだ。
すると、最低でも12回くらいはそのまま続く。
ひとたびはじめると、ノリと勢いでそのくらいにはなるのだ。
そこまできたら「15回までやろう」「18回までやろう」「20回までやろう……」と、メチャ低なハードルをポコポコ跳んでいるうちに「本当の目標回数」に到達する。
いわば、自分をペテンにかける手法なのだが、このやり方でスクワットのみならず、ストレッチ、腹筋、腕立て伏せの習慣化にも成功した。
この手法を、読書にも使うことにした。
* * *
とは言ったものの、さて具体的にはどうしたもんかな……と考えたとき、書評家の印南敦史さんが書いた「遅読家のための読書術」という本のことを思い出した。
この本には、読書習慣をつけるコツとして「読書を生活のリズムに組み込む」「毎日・同じ時間帯に行う」「目を覚ましてすぐの10分間読書がおすすめ」といったことが書かれていた。
この本を買ったのは2、3年前だが、その頃は病状が悪かったため「これはよさそうだ」とは思ったものの、まったく実践できず自己肯定感をゴリゴリ摩滅させ、敗北に終わった。
だが、今ならできるのではないか?
そもそも、今の自分は「目を覚ましてすぐの朝の10分間」を「寝ぼけ眼でTwitterを起動し、布団の中でぐずぐずと閲覧したのちゲンナリ気分で布団から這い出す」というゴミクズ以下のムーブに費やしているため、このゴミクズ習慣の撤廃と読書習慣の定着をセットで行えるのであれば一挙両得一石二鳥となりうる。
さっそく、やってみることにした。
ただ「10分」というのは今の自分にはやや長い気がしたので「8分」からはじめることにした。
……で、どうなったかというと。
「メーーーッチャ、いいじゃーーーん!!」
もうネ、びっくりだネ。
* * *
ここからは、具体的な手順について。
寝る前にやるのは、朝読む本とiPhoneを枕元に置くことだけ。
そして、目が覚めたらまずSiriに向かって「タイマー8分間!」と叫ぶ。
ぼくは寝起きが地獄的に悪く、朝に対してクソザコな弱さを誇っているため、アレコレとスマホの操作が必要となると敵前逃亡して二度寝を決め込む可能性がきわめて高い。
それゆえ「ボタン押して叫ぶだけ」というチンパンジーでもできる動作でミッションをスタートできるのはきわめてありがたい。21世紀スゲー。
叫んだあとは、枕元の本のページを開き、ひたすら読む。
はじめる前は「8分間なんて秒速で終わるだろうし、数ページも読めないのでは?」と思ったのだが、8分間、思いのほか長い。
この記事を書くにあたって「8分間 できること」で検索してみたところ「北朝鮮が核ミサイルを日本に発射してから着弾するまでが8分間」とか「救急車が現場に到着するまでが8分間」とか1ミリもシャレにならないやべーヤツらが出てきてしまった。
つまり「8分間」というのは「人命が失われるか否かのガチの分かれ目」にすらなりうる貴重な貴重な時間ということらしい。わぁーお。
8分間にそんなデッド・オア・アライブなレベルの価値があるとは露知らず「意外とたくさん読めるな」とか「Twitter? 8分間ならガマンできるわ」とか思って読みすすめているうちに、iPhoneのタイマーが鳴った。
「んー、もーちょっとだけプリーズ!」
延長線開始。読書がつらくてつらくて仕方がなくてはじめたはずなのに、気がついたら「おかわり」を要求していた。
最終的に、12分ちょっと読んだところで「他にやることもあるし、今日はこのへんにしといたろか」と、本日の朝読書を終えた。
* * *
さて、やってみた感想だが、率直に書くとこうなる。
「あー! はやく明日にならないかなー!」
「明日の朝の読書、楽しみだなー!」
マジかよ。
できすぎやろ。
なんやおまえ、ローカルTV局の通販番組のサクラか?
「※個人の感想です。効果は個人差があります」とか但し書きがつくやつか?
いやまぁ、我ながらびっくりだヨ。
まだ初日なんで「やっぱダメでした」とかあとあと言い出す可能性もあるが、今のところは、こチューニングしていけば割といけるんじゃないかという手ごたえがある。
うれしい。
めっちゃうれしい。
「本を読むのがけっこう好きだったのに、多大な苦痛となってしまいずっと困難だった」というのは「大好きな食べ物があったのに、アレルギーが発症してしまい命に関わるため食べられなくなった」とか「猫が大好きなのに猫アレルギーがあるため近づくことすらできない」とか、そんな感じの、だいぶキッツいつらさだった。
それが……終わるのか?
俺は……本を……読んでも、いいの……か……?
なんというか「刑期が明けるかも」に近い感慨がある。
お勤め終わるんか? 娑婆の空気が吸えるんか? カタギに戻れるんか?
ひとまずは継続して様子見だが、ちょっと、楽しみ。
いや、だいぶ、楽しみ。