シェイプシフトするファッション、ファッションの三位一体
ArtoMe(アートミー)主宰のTOMMY☆です!
突然ですが、7/2まで東京の某古着店(アーカイブショップというのか)でコムデギャルソンの初期商品(作品と言える)から近年まで販売されている。
コムデギャルソンは、ファッション好きなくとも街中でハートに目があるTシャツを着ている人を見たことがあるかもしれない。ハートの目のマークのものはギャルソンのポピュラー的なブランドラインと言えようか。
1980年台に「黒の衝撃」と言われる日本人デザイナー・コムデギャルソンの川久保玲、山本耀司がファッションの都パリでのファッションショーで話題をさらった程の黒ずくめで穴が空いたりアンシンメトリーな布、装い。そして、ひたすら黒だけのカラー。いわゆる、ザ・モードの源流にもなったとも言える。
黒は、最強の色であり全ての色を黒で覆うほどの威力がある。
黒を好んでよく着るのだが、心身が疲れている時は手も出ない。目にも触れたくない手を出せない色となる。自分の元気かどうか、気持ちが整っているか、揺らいでいるかいないかのバロメーターになっている。それだけ着る人を整えなければ本来は着ることが難しい色。(黒は、悪い事をする人などもよく着る色でもあって、本来の黒とは真逆にも左右する色でもあってそう言ういう意味でも非常に扱いにくい色である。他勢に紛れる色。喪服=黒という国は多いが、アフリカでは喪服=白の国もあるので一概には黒が喪服や死をイメージとは言えない)
個人的に、コムデギャルソンを好んでおり、まずは川久保玲のデザイン、それも「身体とそのデザイン」にフォーカスして少し書いてみたい。コムデギャルソン、フランス語を訳すると「少年のような」。性差フリーにデザインしているデザイナー。
川久保玲の特筆すべきデザインの一つに、こぶしドレスがある。当記事にある扉写真のものであり「Body Meets Dress Dress Meets Body」と題したショーで発表した。後に、マースカニンガムがダンス衣装として取り入れた。
このドレスを身に纏うことで、身体にコブがあるような形(シェイプshape)になる。自分の身体であってそうではないような相反する形。どちらが本当の形なのか。見ただけでは、軽い混乱が起こる。錯覚のような倒錯的な。ファッションは、人間の身体なのかそうではないのか。ダンスと言う身体を使った表現、時には日常では表さない動作や使わない部位や筋肉も使う表現体でコムデギャルソンを着て踊るというのも、非常に興味深い。身体は、特に初心者にとっては意識しないと動かないもの、起こしてあげないと動かないんだとダンスを習い始めた私は痛感している。
川久保玲は、存命デザイナーとしてイヴ・サンローランに続いてMET(N.Y.のメトロポリタン美術館)で展覧会が開催され、彼女の作品が収蔵もされている。川久保は、「ファッションはアートではない、ビジネスである」と言い切っている。衣は着てナンボ、ファッションは人間が身に纏うために存在しその為に製作すると言うスタンスがベースにある。至極真っ当なこと。しかし、やはり思うのだ。ファッションもアートであると。人間が表現した創造物として。美術品とは違い、身に纏えるのがこの上ない特徴であり幸せなことでもある。
初めてコムデギャルソンで購入したパンツがある。
目を惹く左右アンバランスに一つずつ付けられた誇張された大きなリボンに、股がかなり下にあるものだ。店内の試着室では、自分のシルエットとサイズ、実際に自分のテイストに合っているか等の最終確認であった。しかし、購入し初めて実際に履いて歩いてみて、自分の身体、足元が軽く拘束されて動きがある程度限定されることに非常に驚いた。びっくりしたのだ。窮屈感や不快感は全くなく、身体の限定性というか、自分の足捌きを意識して足をこれ程までファッションによって身体的に「自分で自覚できる」ことに感動すら覚えた。単に着ただけと、実際に身体を動かしてみるのとはこれ程までに違うのか…と衣とデザインの威力にほくそ笑んだと書くのは過剰だろうか。
長年ファッションフリークではあったが、これほど新鮮なファッションによる身体体験は初めてだった。ここから、川久保玲のデザイン力にますます惹かれるようになった。コムデギャルソン好きになることに納得してしまったのだ。諸事情で、そんなには持っていないが見ているだけでも面白いし、お店の方に断って試着だけさせてもらったりすることもある。
ファッション、服の喜びは自分にベストマッチするものを発見(まさに宝の山々からの発掘だ)し、自分の身体に纏わすことができる至福な体験である。
タイトルの「シェイプシフトによるファッション」とは文字通りファッションを着ることによって自分の身体の形を変えるという意味。もちろん、外見のみならず着る人自身の気持ちも合致しなければ、そのファッションを活かすことができないので心身ともに自分に見合うものとの出会い。このセオリーは、自分軸ファッション(JFメソッド)によるもの。昨年、JFメソッドというファッションセオリーを生み出したAIさんという方に1枚のワンピースを選んでいただく機会を得た。
全くもって自分が選ばない色と花柄で提灯のように膨らんだ半袖、ジャガード生地に布一面花々や葉っぱが施されたもの。どちらかと言えば、イエローベースカラーのものだ。私自身、ブルーベースの肌なので避けがちな色味でもある。え、私が着ていいのだろうか…こんな可愛らしいそれもミニのワンピをと思いつつ、こんな素敵でラブリーなものを選んでくださったことに、とても心は喜んでいた。試着してみて、驚いた!これほど人間ってファッションで形が変わるのかと!確かに自分ではあるが、違う自分とのご対面といった面持ちだった。いや、違う自分ではなく、本来持っている自分とのご対面だったのだ。
選んでいただいた理由を、お聞きするのを逸してしまった。が、自分のロックでパンクな性質(ティスト)とガーリー(私にとっては子どもっぽさに相当する)な要素そして自然、森羅万象と共鳴する心持ちがそのワンピースだったのだなと今になってこうやって、やっと言語化することができるようになった。そして、自分の肩というとても意味のある身体部分。
ファッションが放つ、持っているエネルギーと着る人のエネルギー。ピッタンコ合致で両者が共鳴すれば、とても至福で歓喜に満ち溢れる。この体験をしたくて、長年ファッションに憧れファッションにあれこれ注入してきたんだなと思う。
このワンピース、まだ数回しか着たことがないのだけれど、これからも大切に大切に着ていく。どうその時々で変化するのだろうか。私にとってエポックメイキングな奇跡の一枚。エネルギーと書くと怪しいと思う方もいるかもしれない笑。でも、よくエネルギー不足とかって使うでしょ?
エネルギーとは、その対象が成される全ての構成要素のこと
もう少し詳しく書くと・・・
人については、その人の身体と内面(3感=感情・感覚・感性)その人を形成している全てのこと
ファッションについては、そのファッションそのもの(デザイン、色、形等々)と作り手のデザイナーを構成する要素全てのこと
アートでいえば、その作品そのもの(色、形、大きさ等々)と作り手のアーティストアートを構成する要素全てのこと
アートもファッションも自分の3感(感情・感覚・感性)=ご自身があってこそでもある。ここ、とても大切なことだ。
アートもファッションも、今述べた構成要素にプラスして「見るひとあるいは着る人」が加わって三位一体の切っても切り離し難い関係性が生まれる。そして、相互作用が発生する、つまりエネルギーで繋がっていくのだ。
シェイプシフトするファッション
ファッションは、チャラチャラしたものでも浪費でもない。第二の皮膚、と言う方もいるが、ファッション=その人を代弁してくれているのだ。まさに心身とファッションはイコールな相関関係がある。言葉を持たずして発するオーラとも言える。
服、デザイナー、そして着る人
アートの三位一体のように「ファッションの三位一体」は、服・デザイナー・着る人となる。
とめどもなく綴ってしまいました。
どこかでまた分解して、書きたいと思っています。
読んでくださり、ありがとうございます!
では、また!
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