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Romania Rocks!!!(ルーマニア、シビウ国際演劇祭ボランティアスタッフ体験記)

ルーマニア、シビウ国際演劇祭にボランティアスタッフとして参加した時の体験記を載せます。20代の時です。
*いつもと違って3000文字超えの長文です。

当時はまだ旧姓でした。ナツカシイ。
そして文章がまだ荒いですが、直していません。

 
 目のような窓、レンガ色の景色、歴史のある建物。ルーマニアでの2週間を、どんな言葉で綴ったらいいのだろうとしばし考えてみた。が、あまりに多くの出来事と、学んだことと、色々な人と交わした会話が、まさに洪水のように頭の中に浮かんできて、文章にするのはなかなか難しい。ルーマニアで学んだ、Let it beの精神で、徒然なるままに書いていってみようと思う。

  シビウに着いて、ボランティアの仕事が始まってから、まず気付かされたのは、「待つ時間がとてつもなく長い」ということである。仕事の指示を待つ時間、必要なものが渡されるのを待つ時間、単純に人を待つ時間、ひいては、担当者と数分話すために30分以上待つなんていうことも、ざらである。

  だが、ものは考えようだ。「待たされる時間」と捉えると日本人にとっては非常に苦痛だと思うが、「遊びの時間」と考えると、そう腹もたたない。何もせず、ただ待っているのも仕事ならば、その時間を活用しない手はない。日頃ぼーっと考える時間が少なかったので、今回の待ち時間は、物思いにふけったり、広い意味では、自分の人生を見つめ直す貴重な時間となった。また、他のボランティアのスタッフ達と、芸術について、今までの自分の生活やルーマニアでの生活について、多くのことを語れたのも、貴重な経験だったと思っている。

 そして、そんな中で、実はこの遊びの時間こそが、日本社会に足りないものなのではないのかという風に考えるようになった。私たちは、生まれた時から資本主義社会の中で育ってきた。最小限の労力と時間で、最大限の成果をあげることを常に求められてきた。しかし、一見無駄に見える何もせず待つ時間にこそ、様々な事柄について熟考できる余裕がうまれるのではないだろうか?また、非公式な新しい意見交換の機会も増え、その結果、大胆で自由な発想が生まれやすいのではないだろうか?

  今回の演劇祭で度肝を抜かれたファウストの劇場は、元工場を使っていて、奥行きの相当長い劇場だった。そして、背景にある大きな壁と舞台がまっぷたつに割れ、その奥に新しい舞台が用意されていた。演劇の最中に、観客を移動させ、違った雰囲気のスケールの大きな舞台へ誘うのは、新鮮だった。また、ルーマニアで最初に一般市民に解放されたブルッケンサル国立美術館では、透明の箱の中に絵画を配置し、その絵画に合った照明で照らすような展示方法もとられていた。タイトルなどは、ブラックライトに照らされたような色に光っていた。ルーマニアのように遊びの時間の多い環境だからこそ、こんな大胆な発想が生まれてきたのかもしれない。

  ホームスティを通じて、また今回のボランティアのルーマニア人スタッフと話す中で、自分たちの街をとても大切にしているのにも驚いた。街を一望できるタワーに登った時、あまりの美しさに感激していると、ホストシスターが「シビウでは、街の景観を守るため、増改築する際にも窓の数や壁の色を変えてはいけないという規則がある。」と教えてくれた。日本の伝統的な都市のルールに似ているなと改めて感じたが、市民がこの美しい景観を大切に守っているからこそ、私が見ている風景が現存しているのだと思った。携帯電話の店など、新しい店も上手にバランスを取りながら、古い街並みに馴染んでいるこの風景は、理想的な街並みなのではないのかなと思った。新旧の建物のバランス、そして、大切に守るべき歴史的建造物を市民全員で守っていかなければならないという当たり前のことを、シビウの美しい街並みから、改めて教えてもらった気がする。

  シビウ市民の芸術に対する意識は非常に高い。国立劇場があることが一因だとも思うが、一般的に大学生でも、月に数回は演劇を見に行くという話を聞いた。そして、シビウという市に対する誇りも高く、国際演劇祭への期待も非常に大きい。私のホストファミリーを始め、多くの現地の家族達が、日本人ボランティアスタッフのホストファミリーとなってくれた。日本という国についてほとんど知らないファミリーでさえもだ。また、街を歩けば、あちこちでVOLUNTARと書いてあるIDカードを首に下げた人とすれ違った。若い人達、特に大学生である私のホストシスターや彼女の友達は皆、ボランティアスタッフとして働いていた。彼女達は「シビウの国際演劇祭で働けるのは、市民としての誇り」と言っていたので、街でIDカードを揺らしながら歩いている人とすれ違う度に、自分もその一員なんだと少し誇らしい気がした。

  ボランティアスタッフとしての主な仕事は、日本からいらっしゃった演劇評論家や劇団関係者の方達の、秘書兼ガイド兼通訳だった。日本では全く接点がない方達と、シビウでお会いできるなんて、不思議な気がしたけれど、シビウに来ていなかったら、きっと一生お会いすることはなかっただろう。私は演劇の知識がほとんどないにも関わらず、演劇評論家の方達は専門的なことも含めて色々な話をしてくださり、すごく刺激的な時間を過ごせた。一つの演劇が終わると、評論家の方達が感想を述べたり、演出家の方と意見交換していることもあり、そこでの話し合いを聞いているのも、本当に興味深かった。演劇は、奥が深くて今後知識を増やしていきたいなと真剣に思った。

  14日間の滞在の間で、一番素敵だった仕事は、WOYZECKの監督であるジョルダック氏、妹のカーチャーさんと日本の評論家の方との会議の席に、通訳としてご一緒したことだ。お互い英語が母国語ではなかった上に、演劇の専門用語が多かったので、通訳は想像していた以上に難しかった。その中で、「日本の演劇は、本のない図書館のようなものだ」という言葉が印象深かった。国立劇場ですら専属の劇団を持たず、海外の一流の劇団が公演に来ても、なかなか席がうまらないという現状を、皆さんが変えようと努力してみえるというお話を伺った。今後、日本の演劇はどう変わっていくのだろうと思うと同時に、日本でシビウ国際演劇祭のようなものを開催できる可能性は、限りなく0に近いのだという現実を初めて知った。でも、会議は私にとって非常に有意義で、日本で役者として生計をたてるのが非常に困難であるという問題や、なぜ演劇や役者という仕事が低く評価されてしまっているのか、など、日本の演劇界の問題点が、通訳をする中でよく理解できた。

  その日の会議の終わりに、翌日も真夜中近くから会議をするから、通訳として同席してほしいと依頼された。一度目の会議でとったメモの中で分からなかった言葉をもう一度復習しておいたら、二回目の通訳は結構スムーズにできたので、ほっとした。通訳は、事前準備と背景知識が重要だと聞いてはいたが、今回の経験を通じて、そのことを実感した。でも、まがりなりにも通訳の仕事ができたことは、今回のボランティアの2週間の中でも、一番嬉しかった。

  あの2週間は、夢のようだったと今でも思う。数え切れないくらいのことを、考えて、経験して、学んだ。日本人ボランティアスタッフのみんな、ありがとう!!!みんなに色々教えてもらって、色々語れて楽しかった。一緒に歩き回ったこと、色々語ったこと、仮装パレードに参加したこと、ルーマニア語で「乾杯」したこと、はじけて踊ったこと、きっと忘れない。またどこかで会いたいな。ラビニアや他のルーマニアのスタッフ、今回の経験を通じて、私は成長できたと思う。ありがとう。家族の一員として接してくれた大好きなホストファミリー、ありがとう。

  Romania Rocks!!!!!!

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