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どうやらこれはウィンタブルーだな、というのがあって、病院に行くほどではない

毎年、10月頃から3月頃まで気分が落ち込む。
どうやらこれはウィンタブルーだな、というのがあって、病院に行くほどではない。
つまり、鬱ではないな、と自己分析している。
気分が落ち込み気味になる、といっても、1週間以上ひどい落ち込みが続くわけではなく、イライラしがちだったり、無気力になりがちになる感じなのだが、今朝、散歩に行きたくなくて、ちょっとヤバイな、と感じている。

昨日アップしたTwitterうんぬんの文章も、そういう気がある。
鬱への予兆。
今、冷凍パスタを食べて、小室哲哉の音楽を聴いて、ちょっと元気が出てきたので、気晴らしに文章を打っている。

ウィンターブルーというのは、日照時間が短くなるのが原因だと言われているのだが、昨日、私は1時間半程度、外に散歩に出かけたのだった。秋日和の中を。
今朝、自律神経が弱っているのか、という印象があって、どうしたものか、考えている。

落ち込みやすく、無気力になりがち。

まず考えてみるべきは、近頃、忙しかったことだ。
無職で仕事はないものの、写真、音楽、文章、ゲームと4つも1日の中でやっていた。
最近、エーペックスの新シリーズが始まって、何時間も、夜な夜なSwitch liteで戦っていた。やはり、人を撃ち殺すのはよくない。

文章でいえば、ピンボールの紹介記事を書きたいのだが、書き出せずに焦りがあった。
どうしてピンボールのことが書けないのか。
ニッチだからである。ニッチで、しかも、ピンボールは実際にやらないと面白さが分からない。
私は個人的にピンボールが好きなだけなので、もっと私個人に寄り添ったピンボールの在り方を大事にして、私の自己満足のために書くべきであった。
だって、ゲームは私にとって自己満足のものだから。ゲームは楽しい気晴らし。それぐらいで丁度いい。

SNSもいけない。最近、Twitterを頑張りすぎた。とりあえず、今日はスマホから離れよう、と書きながら、今、文章を打っているのはiPhoneなのだが、SNSをチェックするのは控えよう。意味がない。意味はないのだよ。
人様がどうであろうと、その人も私もどうにかなるわけではないし、すぐに死ぬわけでもない。
だいたいは、どうでもいいことばかりなのがTwitterであった。どうでもいいのだから、一旦、離れよう。つぶやきたいことがあったら、つぶやこう。
noteも、書きたいことがあったら書こう。チェックはやめよう。

音楽もヤバくて、今朝、自分の8小節の新曲をチェックしたら、ズレているように聴こえて、気分がわるくなったから、チェックするのを辞めた。自律神経を壊しそう。
今、私はglobeの「Remode 1」をSONYのスピーカーで流している。冬になるとiPhoneに入れてよく聴いているアルバム。
小室哲哉さん、ありがとう。

「Remode 1」を聴いていると、今の自分にシックリとくる。

小室哲哉さんの曲は私の癒し。

小室哲哉さん、ありがとう。

ビーザワンの歌詞のように、自分を労ろう。
人間、疲れる時はあるよね。
ちょっと休めば、また明日から頑張れるよね。
明日も頑張れなければ、明後日でもいいよね。
本当に大事なことはそれほど多くはない。

今、私は、捨てていこう。
やらなければならないことを捨てていく。
やりたいことだけをやる。
ご飯を食べる、トイレに行く、文章を書く。
生理的な欲求。
昼寝してもいいさ。
一旦、自分をオフにしよう。

ピンボールの記事は、録音を音声投稿で、そこの文章で個人的にコンパクトに書くことにしよう。
ピンボールの写真をたくさん撮ったけど、それは使わないでおこう。
何か、人に伝えようとすること、伝わらないことがとてもしんどい。

ただ生きている。それだけでもいい。

様々な人の意見がある。ネットを見ていると、それらが渦巻いている。
時にそれが圧になる。前田敦子。
鬱陶しくなってくる。
そうではなくて、自分が大事。自分を労ろう。

人がどうこうではなく、自分を自分で褒めよう、労ろう、甘やかそう。それはきっとわるいことではない。たまには甘いチョコレートを食べよう。
現実は厳しい。なのに、自分で自分を厳しくする必要はない。たまには、甘くしよう。自堕落に過ごそう。頭のネジを緩めよう。

いいんだよ。自分は十分に頑張ってきた。生きてきた。それだけでいい。何かを成したとか、社会的にどうだ、とか、そういうことではない。誰に伝わなくてもいい。そういう自分にとって掛け替えのない何かがある、ということが分かっているだけで。

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