【後書き④】執筆を支えてくれた音楽~散歩編~
散歩は偉大だ。
アイディアが出ない、気持ちが落ち込んでいる、運動不足だ、なんなら3時のおやつも買いに行きたい……これらはすべて散歩が解決してくれる。
一石二鳥ならぬ、一散歩四解決と言っていい。
『おかげで、死ぬのが楽しみになった』というタイトルも散歩中にひらめいたし、作中の迷言たちも散歩によって生み出されたものばかりだ。
自らの足で前に進むという行為が、思考や気持ちさえも前に進めてくれるなんて、ベタだなと思いつつも、結構効果がある気がしている。
だから街中で急に立ち止まり、スマホに向かってべらべらと独り言を呟いている人間を見かけたら、アイディアを必死にメモしている僕の可能性があるので、そっと優しいまなざしを向けてほしい。
そんな僕の散歩にかかせないのが音楽だ。
何も聴かずに散歩していると、街の生々しい息づかいに意識を持っていかれすぎてしまう。なので入ってくる外界の刺激を、音楽でオブラートに包む。すると街と自分の間に少しだけ距離が生まれる。その隙間に思考が宿るのだ。
だから曲のテンポが大事だったりする。
速すぎず遅すぎず、歩く速度に寄り添うような曲がいい。きっと歩く速度と思考の速度が似ているからなんだと思う。
僕にとってodolの『歩む日々に』のテンポは特に心地が良い。
この曲を聴きながら散歩をしていると、街の風景がコマ送りのように見える。今まで見過ごしていた、ささやかな瞬間が目に入るようになる。それは風に揺れる草花だったり、水たまりに映った青空だったり、誰かのちょっとした親切だったりする。
そして、いつもの散歩道が特別な輝きを宿していたことに気づく。
どこか別の場所に答えがあるのではなく、歩む日々の中にあったのだと。
だから煮詰まったときほど、この曲を聴く。
世界の美しさを呼び戻すために。
お次はサボテン高水春菜さんの『ローズマリーの花』だ。
この曲は沁みる。特に落ち込んだ時は「疲れたなら うんと眠るのさ いつもどおり 過ごせばいいのさ」という歌詞がなおのこと沁みる。
そして散歩の道中で何度もリピートしているうちに、冷えてしまった心に血が通い、また歩いて行こうと思えるのだ。
それはきっと楽曲全体からにじみでる「丁寧さ」のおかげなんだと思う。
高水さんが、丁寧に言葉を選び、丁寧にメロディを紡ぎ、丁寧な演奏に乗せて、祈るように歌う。
「丁寧さ」は「想像力」とも言える。
聴き手のことを想像し、地道な試行錯誤を重ねた先にこそ丁寧さは宿る。
だから高水さんの曲を聴くたびに、まるで自分のことも大切にしてもらっているような手触りを感じて、ほっと安らぐのだと思う。
押しつけるような応援歌ではなく、聴くほどにじんわりと温かさが広がっていく。高水さんの曲は心のお灸だと思っている。
最後はうたたねの『うつくしいもの』だ。
うたたねのライブを観に行かなかったことを、僕はいまだに悔いている。
機会はいくらでもあったはずなのに、「いつか」と先延ばしにした結果、一度もライブを観ることなく彼らは解散してしまった。
だから人生において何かを先延ばしにしそうになったときは、『うつくしいもの』を聴き、いつもより長い距離を散歩して現実と向き合ってきた。
この曲に僕は自分の後悔を重ねてしまうけれど、同時に解散後もメンバーの皆さんがそれぞれの表現を(それは音楽であったり、日々の生活であったり)続けていることを、一人のファンとして嬉しく思う。
なので過去の彼らだけでなく、今の彼らにも心からの感謝と敬意を送りたい。皆さんが作った音楽は今も輝いているし、今の皆さんの生き方もやっぱりうつくしいと思うから。