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育児に悩んでいる保護者へ話をしたこと・・・当たり前が難しい

今日は障害を持つ子どもの母親と面談をしました
情報時代の今、様々な障害に対して様々な有効手段がたくさんスマホ画面にあふれてきます

何が本当に必要なのか?私のしていることは(育児)はこれでいいのか?なんて自責の念が募っているようなお話でした

確かに障害を持っている子どもに対しては、専門的知識も障害理解も必要な部分もあります
その理解が乏しければ、無駄な苦労を大人も子どももしてしまうので、必要不可欠なのは間違いありません
しかし、それ以上に大切なのは「子ども」を育てているということ
そして、その「子ども」と生活をしているということです

子どもは発達します、そしてその発達には必要な条件があります
その条件とは、健常児と何ら変わらない当たり前の生活の中にすべて含まれています
ただ、健常児と違って吸収するスピードが遅かったりそこに気づくまでに時間がかかったりと足ふみ状態が続くことも珍しくないのも事実です

だから、環境の配慮やちょっとした工夫が必要なことはあるかもしれません
しかし、人とうまくコミュニケーションができるようになったり、自分の気持ちをコントロールしたりと目で見えないものを理解するのは健常児同様に駄々をこねて、いやいやと大人を困らせて、問題行動という自己主張を繰り返すことが必要なんです

障害があるから問題行動がすべて障害のせいではなく、たいがいは発達に必要な場面だったりとその子本来が持つ、発達欲求からくるものが多いです

たくさんの方と話をしてきましたが、「障害」という言葉に縛られてしまい子どもがかわいいと感じる間もなく、「何かしてやらなきゃ」となってしまいろいろな手法に走り勝ちですが、日々の食事や着替えコミュニケーションなど、何度も何度も繰り返しの積み上げ、これこそが重要です

それすなわち生活ですということです

良いことも悪いことも辛いことも楽しいことも・・・そんな当たり前の状況を家族でその支援者とともに一つひとつ乗り越えることこそが、学習経験であり親子共々今後の生活に結び付く”力”に結び付きます

まさしくこれが、”生きる力”です

幼児期だからこそ抱きしめることもスキンシップを存分にすることもできます
だからこそ、ぶつかり合えることもあるのではないでしょうか(ポジティブなぶつかり合いですよ)

徐々に大人も含めて生活力が弱くなっているように感じる今だからこそ、当たり前のことを考え直し、普通がいかに難しいのかということに気づくことができるといろいろなものが見えてくるように思えます

今日もアウトプットする機会があり改めて大切なことを気づきなおしました
ありがとうお母さん

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