食べることって、自分の体内に入れる作業、敏感な子どもは辛いよね。
またまた食事シリーズ!
偏食とか好き嫌いとかのお話です。
先日子どもたちとバーベキュー大会と食後にかき氷を作って食べました。
結果からお伝えすると、通常食べない物を食べる子どもがそこいて、かき氷も食べない子どもがおいしそうに食べてしまっていました。
偏食とか好き嫌いとか、食わず嫌いとか・・・いったい何だろうって思うんですよね。
食育とかいって、畑で出来たなすびやら大根やらを切って焼くと食べるんですよ・・・大人でも今一つな味&触感だけど子どもは食べる。
どういうことのか?
これが分かると、偏食を無くすことが出来るとかいろいろなものを食べさせるコツが分かるとかではない。
私はそう思う。
このことの意味が分かることで、食事とは元来どうあるべきかということが分かり、今の食事形態が進化してし過ぎているのかもしれない。
先ほど書いた食育の内容。
「食材収穫→切る→焼く」
バーベキュー
「買い物→切ってある野菜や肉→焼く」
そして、みんなでワイワイ頂く。
あまりマナーとかなく食べたいものを食べる。
分かりますか?
要は、口入れる食材を「見て」
調理する過程を「見て」
余計な手を加えずそのものが「食事としてある」
子どもにとってはこれが安心感につながるだろうと思う。
私たちだってそうだ。
いつも食べる料理は、食材や調理法、そして匂いや色を見ると何となく味まで想像できる。だらか美味しく頂ける。
しかし、多国籍料理で見たこともない色、形だったらどうだろうか?警戒をしないだろうか?
前歯で少しだけ食べてみて、「やばい」と思ったら吐き出さないだろうか?
それと、子どものしていることは同じだ。
食事とは元来”生きるため”の手段だ。
狩りをして、さばいて、焼いて食べる。
野菜を収穫して切って、焼いて食べる。
とてもシンプルだ。
味付けや食材を混ぜるなど、手を加えれば加えるほど特に、自閉的な子どもは食べることが難しくなるのはなぜか?
”人の手が”加わっている量が多いからかもしれない。
あなたの為に少しでも美味しく食べてもらおうと思って・・・ってやつが受け入れ難い。って感じているのかもしれない。
若干こじつけではあるが、そうかもしれない。
そんな、幼児期のかわいらしい姿を見た後自閉の強い重度の高校生の食事を見た。
まぁ、好きなものしか食べていないよね・・・
笑っちゃいうぐらい、好きなものしか食べていない。
でも、美味しそうに食べているし、ちゃんと体デカイ!
そんな姿を見ていると、偏食指導って何だろうって思うし、偏食の指導って言葉もどうだろうかって思う。
勿論、食事の幅を広げた方が栄養んバランスがとか、美味しいものを知って欲しいとかとかって思うけど、それは本当だろうか?
単なる大人のエゴではないですか?
日本に生まれて、豊かな食生活の中で育った私たちはそれが”当たり前”だからそうしているのではないでしょうか?
日本の文化継承という意味では、とても重要でその意味を理解して次の世代へ伝えていくことは必要です。
しかし、障害を持ったが故にいろいろなものに対して敏感だから苦しんでいる子どもたちに、「食事」の何を大切にするべきなのでしょうか?
食べることって何でしょうか?
命をつなぐ行為である「食事」って何なのでしょうか?
この辺の、理解を深めることで偏食などの食事に苦労している子どもたちへの見方が変わると思っています。
素敵な、食事ってなでしょうかね?