あなたの保育でその子どもの小学校一年生の姿が見えますか?
児童発達支援センターは主に幼児期の子どもたちのサポートをする事業所です。
幼児期はほかに保育園や幼稚園、子ども園、児童発達支援事業所などなど様々な形態があります。
各々の事業所は事業的に特徴が違っていますし、各施設の理念や方針も違ってきます。
しかし、共通点もあります。
それは、通過施設であり小学校へつなぐ施設であるということです。
以前保育所等訪問で保育園に行った際の年長さんの保育の中に字の練習を一コマ一時間をしたりする場所もあります。(ここはお勉強が特徴の園)
特に否定も肯定もしませんが、施設側の意識として何を意識して送り出すべきかを精査する必要はあると思います。
ってことは、人の育ちである”幼児期”に何を育てるべきなのかを考えないといけないということです。
字を書けるようにするとか、長く座れるようにするとかの形ではなく、人の人生の”幼児期”がどんな時期であるのか?
そして、その幼児期で培ったちからがどように学童期につながっていくのかという、流れや成り立ちを理解することがとても重要だと思う。
でないと、保育士としての役割が本当の意味での役割を果たせるのだろうか?とも思う。
やり方とか仕方ではない。
根本的な話である。
そこ部分を理解したうえで、理念や思想、そして愛情の保育をすることで間違いなく学童期へバトンパスが出来る。
しかし、自分の園の中のルールにどれだけ従えるか?園のやり方の基準をどれだけ満たせるのか?ってまるで、その子どもの人生は(0-2)3-6歳であるかのような視点で考えるのか危険である。
逆説的に考えるとあなたがしている保育が、小学校へ行った子どものどんな力につながるのかを言うことが出来ないといけない。
字が書けるとか、箸が持てるとか技術的なものではないですよ。
根本的な力という言う意味ですよ。
それでも、定形発達と言われる健常児は発達意欲が強いので正直必要な力は自ら獲得出来る子どもたちが殆どです。(最近は厳しい子どもも多くなりつつありますが)
しかし、私も含めて障害を持った子どもは意図的に考え育て、小学校へバトンパスをしなけば教育という機関では難しい場面もあるし、学童期は取り戻せない部分も正直ある。
障害のある子どもは弱さを持った子ど達です。
発達要求が弱いのです。
きちんと幼児期に大切なことや発達事、発達要求のことを理解しておかないと、そこ編支援はできません。
ともすれば、「〇〇療法で〇〇をします」と自分たちのスキルに子どもたちをあてはる。
そして、自分たちの基準の中の「できた・できない」を決めるような保育・療育を行っていると、その園では「できる」子どもかもしれないが、学童期に見合った社会性を獲得できているのか?
学童期に学べる土台を作れているのか?
自分たのちの支援を学童期にも引き継ぐことが出来る一般化を意識しているのか?
ということが出てくる。
私は、決して幼児期の施設が小学校へ上がるために必要とは思わない。
それは何故かというと、幼児期に幼児期としての土台を構築できる環境があるならばそれでいいと思うから。
まぁ、今の日本では事実上幼児の施設に入らなと子ども集団が保証できないので、必須になっちゃいますけどね。
うだうだと書きました。
結果言いたいことは、あなたがしている保育は人の人生で3一度しかない幼児期というステージにピントが合っていますか?ってことです。
ここのピントが合うことで、学童期のステージに送り出せるということだと思います。