毒の実を狩り続ける人々のお話
ある村に「毒の実」をたわわに実らせる大きな樹がありました。
みずみずしい、リンゴのような赤い色の実からは甘くて美味しそうな香もしています。
村の人たちは毒の実であることを知っていましたが、時折その樹の前を通りすぎる旅人はそんなこととは知らずに、旅の疲れを癒してくれそうなその実を食べてしまうのでした。
毒の樹の実は見た目も香りも良いのですが、食べた瞬間、渋さと苦さが口中に広がり、とてもまずい実でした。
そして、一口でも口に入れると、のたうち回るような腹痛と、トンカチで頭をたたかれているような頭痛が続き、やがては死んでしまう、恐ろしい果実なのでした。
困った村人は、その樹の実がなるたびに全ての実を採って、捨てるのですが、それではきりがありません。
ある時、その噂を聞きつけた木こりがA村からやってきました。
木こりは「簡単だ。すべての枝を切ってしまえば良い」と言って、毒の樹の枝をすべて切りました。
しかし、毒の樹はしばらくすると、また立派な枝ををはやし、実を付けはじめました。
今度はB村からやってきた木こりが、「簡単だ。この樹の幹を切ってしまえば良い」と言って、毒の樹の幹を根元から切り落としました。
しかし、毒の樹はしばらくすると、また立派な幹をはやし、枝をはやし、実をつけはじめました。
今度はC村からやってきた木こりが「簡単だ。根っこごと抜いてしまえば良い」と言って、毒の樹の幹を根元から抜いてしまいました。
しかし、毒の樹はしばらくすると、地中から芽を出し、立派な幹となり、枝をはやし、実をつけはじめました。
これを見ていた村人たちは、「結局、誰も解決できないではないか・・・」と嘆いていました。
その様子をみていた一人の賢い旅人が、毒の樹の周りの土をみて、
「この樹の周りの土をすべて、あっちの山のふもとまで、入れ替えてください」と言いました。
村人たちはそれから10年の歳月をかけて、毒の樹の周りの土をすべて入れ替えました。
すると、どうでしょう。毒の実はとても美味しい、甘い、栄養がある実へと変わったのです。
それからは、村人や旅人を幸せにする幸福の樹となったのでした。
さて、このお話は、どういうことを表しているのでしょうか。
本日の瞑想はこのお話から連想される、ご自身や身の回りの出来事を思い出し、考えてみましょう。
世の中には「小手先」だけの毒の実を食らわせるような事柄がたくさんあふれています。
賢き人々は昔から、こうした目先のものではなく、「真理を悟る目」を養うために、内省(瞑想)し、先人の知恵、自然界の出来事に自分の意識を向けて過ごしていました。
速く、すぐに、簡単にできるノウハウものの中に、真理を見出すことは難しいでしょうね。
今の時代は時間がない人が多いといいますが、ここまで、家電製品やら科学技術が発達したのに、なぜ?時間がないのでしょうか?
時間がないように見せかけて、判断力を低下させようとしている人たちがいるのかもしれませんね。
ヨーガの教えが一部の人にしか理解をされなくとも、やっぱり私はこうした生き方が人間の本質に近いと思っています。
(今日は説教臭くてごめんなさいね~)