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[魔っ句]無花果2[俳句鑑賞]

 無花果の花を隠すも 因果かな  江島照美

 聖書から出発すると<知恵→羞恥心>に誘導されますが、我々が経験している事実は<思春期→羞恥心>であったり<恋→羞恥心>だと思います。
 この句自体は、聖書の肯定も否定もしていませんが、「花を隠すも 因果かな」のフレーズから感じられるのは、「無花果よ、あなたも花を隠すのね」という共感。そこには<アダムとイヴが食べた「知恵の実」は、実は「思春期の実」「恋愛の実」ではなかったか>と。そんな気づきが読み取れます。
 女性の直感、恐るべし。

 ちなみに人間だけが子作りに関係なく、しょっちゅう発情しているという話がありますが、そのことを「エデンの園」に重ねると……
「禁断の実」=「性の快楽」だったりもする?

 云い過ぎました。ちょっと軌道修正。
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 女人みな 笑みて無花果食む 厨  青木朋子

 あの初心な恥じらいは一体、どこにいったのでしょう~
 イヴの末裔たちは今や何んの躊躇いもなく「無花果」を食べまくり~
 ほら、あんなに愉しそうに! 
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 無花果や 戸棚に古きまむし酒  小林愛子

 これ意味、わかります? 最初に思いついたのは、
 イヴをそそのかした蛇(マムシ)も、今や瓶詰めにされて酒のダシ……

 マムシって美味しいの?  精力剤ですよ!
 イヴの末裔たちもずいぶんと逞しくなりました~ と、はじめはそんなふうに茶化そうとしたのですが、案外この発想は瓢箪から駒だったかも。

 くれぐれもキリスト教の信者の方はお読みにならないで下さいね。

 アダムとイヴが「エデンの園」を追われた理由が「性の快楽」に目覚めたことであったとすれば、アダムとイヴが食べてしまったのは「蛇(マムシ)」そのものだったのでは? それで精力がつき過ぎてしまった……。
あまりに不謹慎な発言のようですが、お坊さんだってニンニクなど精がつく食べ物は避けているはず。食べ物は結構、効くんです。

 言い訳するようですが、こんな発想、凡庸なわたしにはとても思いつきません。この句の作者が悪い。いや、素晴らしい。

 どうして「無花果」と「まむし酒」が結びついたんですか?
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 無花果の不実とおもう 甘さかな  横倉由紀

 女性陣の勘は冴え渡ります。今度は「禁断の味」についてです。
 これまでの考察では「禁断の実」は「性の快楽」だったわけですが、ここでは「不実」。むろん「性の快楽」と「不実の味」は同じではありません。「性の快楽」は五感で感じられる動物的な快楽ですが「不実」は観念的なもの。「不倫」とは限りませんが何かしらの背徳、「悪の味」。
 つまり、この句が暗示しているのは。こういうこと。

 アダムとイヴが知ったのは「性の快楽」というより「悪の味」よ

 ものすごい話になってきました。
 そこまで気づいてしまうと、こんな句も気になってきます。
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 いちじくを生命の樹とす 乳ま白 三神あすか

 ずっと意味不明だったんですが、「知恵の実」が「蛇」だったとすれば、「無花果」のほうは「生命の実」である可能性が出てきます。
「無花果」を思い浮かべてみて下さい。あれが「知恵」に見えますか? あの生々しさは「生命」そのもの。

 となるとですよ、アダムとイヴは「知恵の実(蛇)」と「生命の実(無花果)」の両方を食べてしまったことに。これはただ事ではありません。両方を食べれば限りなく神に近づくのですから!
 しかしそうはなっていない? そこは検討の余地がありますが、こういうことは云えませんかね。
 二つの実を食べてしまった二人は、すっかり自信をつけて「園」を自ら後にしたと。

 前回アトリエトモコさんから、「アダムとイヴを追放した後のエデンの園はどうなったのか?」という質問をいただいていたのですが、もしかしたら「エデンの園」というのは「魂の子宮」かもしれません。今も存在していて、次々に新しい魂がそこに誕生し、二つの実を食べて外に出て行く……。
 聖書では「生命の実」を食べると、永遠の命が手に入るとされていますが、そうではなく「生殖能力=種の永続性」を獲得できるということでは。
 一方「知恵の実」が「悪」だというのは、神の教えよりも自分たちの子孫の繁栄を第一に考えるようになるからでは?
 そう考えると、「エデンの園」の神話には、人間のスタートが凝縮されている。それが「原罪」だといえばそうですが、「らしい」といえばまさにそこが人間らしさの出発点。

 なんてことをわたしが云っても、まさに戯言。このへんにしておきます。
話が高尚? になってしまったので分相応に痴情の話を、いや地上の話を。
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 無花果はジャムに あなたは元カレに  塩見恵介

 口調は軽やかですが、今つきあっている彼女を元カレに返してあげると云ってる。その横暴さはあとで考えるとして、理由は何か?
<熟れすぎた果物はジャムにするのがいい>ということですから、「あなた」は熟れすぎてしまった…… どうやらそれが理由のようです。
 人間の肉体は急速には変化しませんから精神的なことなのでしょう。「あなた」が馴れ馴れしくなったのか、逆に物わかりがよくなりすぎたのか、いずれにせよ、色男クンにとっては魅力が褪せてしまった。しかし、よりにもよって「元カレ」の元にでも返れば~ というのはあまりな態度。

 ちなみに、この解釈のヒントになったのが次の句です。

 男の目 無花果甘く煮つづけり   堀内一郎

「甘く煮つづけり」は、ジャム作りと解釈してもよいでしょう。
 先の句では、不要になった彼女を「ジャム」にして他人にあげてしまおうかと企んでいるわけですが、この句では「甘く煮つづけり」ですから、じっくり愛したいということですよね? 谷崎的な嗜好? わたしの読み違えでなければ、それはある種の男性にとってはとても甘美な世界。
 ん、そう考えると、上の句も実は「愛」の句かも知れません。冷たいようでいてそういう愛し方…… サディズム? 詳しい方、コメント下さい~

 以上、今回はガラにもない話になってしまいました。
 それもこれも「無花果」のせい、ということにしておきましょう~
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無花果を 耶蘇の坊主に貰ひけり  大谷句仏

「オレを誘惑するつもりか!」

 出典 俳誌のサロン 歳時記 無花果

無花果
ttp://www.haisi.com/saijiki/itijiku.htm


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