[暮らしっ句]煤払い[鑑賞]
新しいシリーズの趣旨は、理屈っぽいので末尾に回しました。
よかったら、ご覧下さい。
第一回目は、「煤払い」
まず、「大掃除」と「煤払い」の違いですが、大雑把に言えば、時代の違いのようです。「物忌み」の習慣があった時代には、「物忌み」がはじまる前の十二月十三日に「煤払い」が行われていました。
「物忌み」とは、日常的な行為を控えて穢れを払うことだそうですが、わたしの生家では、もう絶えてました。何のために、そのようなことをするのかというと、神様をお迎えするためだそうです。
つまり、年末に「物忌み」するのは、正月に歳神様を迎えるため、ということなのでしょう。そう考えると、一応、辻褄が合いますが、正確なことは、わたしにはわかりませんので、話半分にお願いします。
ちなみに、若い方、「煤」は、わかりますかね?
火を燃やした時に煙と一緒にでる黒い微粒子ですが、この煤、昔は煮炊きするにも暖を取るにも薪や炭を燃やしたので、家中が煤だらけになりました。だから、「煤払い」というのが掃除の代名詞だったわけです。
ということで、煤払いとは昔の大掃除のこと、という理解でいいかと思います。ただ、今は大掃除をする家も少なくなっているので、その説明でも、まだ不十分か。だからこそ、よき伝統を継承するための努力が必要!
と前置きが長くなりましたが、句の鑑賞に入りたいと思います。
煤はきや なにを一つも 捨てられず 〈支考〉
大掃除には、不要品を始末するという大事な仕事もあるわけです。ところが、その不要品の処分でつまずく人もいる。わたしもそのクチ。今年こそは頑張らねば……
煤掃て しばしなじまぬ 住居かな 〈許六〉
散らかっている状態に慣れていると、きれいなのが落ち着かない……これもあるあるですが、部屋を片付けると頭の中まで切り替わります。新しいことをはじめたくなりませんか? やめられなかったものがどうでもよくなったり。心の新陳代謝には、掃除はとても効果的。「なじまぬ」環境の方が、頭は働くのかな。
煤払て 寐た夜は女房 めづらしや 〈其角〉
女房を見直した、ということですが、正月にもそういう句はあります。たぶん、花見にも浴衣にも同様の句がありそう。現代のものなら、パーティーや学校の式でもあるでしょう。実は、女房はしょっちゅう見直されている。
それに比べると夫の方は…… 少なくとも家の中で見直されることは、めったにないかも。掃除や台所の片付けをやっても、絶対、減点されますしね!
旅寝して 見しやうき世の 煤払ひ 〈芭蕉〉
こちらは、日常句ではなく旅の空で感じこと。大掃除のもう一段上のリフレッシュは、旅ですね。若い頃の野宿の爽快感は、いまだに忘れられません。今の時代は、難しいかもしれませんが。
我が家は 団扇で煤を 払ひけり 〈一茶〉
他人とは思えない、セコさ。
でも、部屋に物がないのなら、またニュアンスが変わります。良寛さんはそうでしたよね。そっちなら、達人だ。
最後は、わたしらしく皮肉目線の句
煤払ひ 神官 畳めつた打ち 〈林 徹〉
日頃、すかしてるけど、ストレスたまってるんとちゃうの~
[暮らしっ句]ごあいさつ
「戦争」の反対といえば、「平和」という言葉が連想されますが、考えてみると、「戦争と戦争の間の時期」を「平和」と呼んでるような気が……。
だとすると、二つは対極ではなくセット。
じゃあ、本当の意味で「戦争」の対極にあるものは何か?
思うにそれは、「日々の暮らし」ではないか。
「日々の暮らし」の味わい、ぬくもりを見失わなければ、戦争などに幻惑されることはない、と信じたい。
本当の敵は、「こんな世の中、ぶっ壊して、やり直した方がいい」という感覚ではないでしょうか。
ということで「日々の暮らし」を古典句、名句で振り返ることにしました。